親魔物領リストア。この地の北部には雄大な山々が聳え、その麓には樹海が広がっている。
魔力に満ちたこの周辺は魔物娘にとって大変住みよい居住空間であり、実際多くの魔物娘がこの地に住み着いていた。
人虎のユリカもその一人である。彼女は強さの高みを目指してこの地を訪れ、日々自己研鑽に励んでいた。
山麓の洞窟にねぐらを作り、樹海を駆けて獲物(男ではない)を捕らえ、様々な種類の友人と拳を交えて己を高める。
その日々は快楽主義のサキュバスあたりが見れば苦い顔をしそうなほどストイックで、
また彼女はそうした性格から、異性と交わることに関して興味がとても薄かった。
その関心の無さたるや、彼女の友人であるリザードマンから「アイツ本当に大丈夫か?」といらぬ心配をされてしまうほど。
どういう訳だか発情期も全く訪れず、彼女は結局その日まで誰の手に落ちることもなく過ごしていたのだった。
そんなある日、彼女はいつも通り山を下り、樹海で鍛錬に励んでいた。
川のほとりでの事である。上流から流れてきた丸太を相手に見立て、削り、割り、圧し折る。
彼女の動きは長きに渡る修練を感じさせ、洗練されており無駄がない。
唯一爪を振るった後に慣性に操られぷるんと揺れるたわわな胸だけが、彼女が雌たる事を示していた。
そうして間隔を研ぎ澄ませていると、彼女の耳はこの樹海において異物となる音を拾い上げる。
「……ん?」
張りつめた気を解き、音に耳を澄ませる。
それは聞いているだけで胸が張り裂けるような、悲痛な声。
ユリカは鍛錬を中断し、導かれるように声のする方へ駆けた。
それから十分ほど走り、ユリカは声の主を拾い上げる。
それは両手で抱える程の大きさの、白い柔布で包まれた無垢な存在。樹海においてひどく場違いなそれを見てユリカは不愉快そうに歯噛みする。
「捨て子か」
葉を拾い集めて作られたベッドの上にその赤子は置き捨てられていた。
まだ目も開いていないその小さな子供はまるで自分の運命を悟っているかのように、
この世の全ての哀しみを代行しているような声で泣いていた。
俗世に疎く独り身のユリカは、その泣き声を止める術を知らない。
だから、ユリカは赤子に口づけをした。
腕を狭めて豊満な胸の中に赤子を抱くと、小さなその口元にそっと自分の唇を重ねる。
するとくすぐったいような、むず痒いような初めての感覚に赤子は驚き、泣き声が止まった。
乳歯を僅かに覗かせて驚いたような顔を作る赤子にユリカはふっと微笑みながら、赤子の目を見て言葉を紡いだ。
「もう大丈夫だ、安心しろ」
何が大丈夫なのか、何が安心なのか、何一つ明確でない曖昧な言葉。
しかし赤子はその言葉を理解したように口を閉じ、やがてユリカの胸で寝息を立て始める。
胸に抱く小さな命を思いながら、ユリカはこの子供を育てる事を決めた。
それから十五年の月日が流れる。二人はいつも通り山を下り、樹海で鍛錬に励んでいた。
「はあっ! せっ! やーっ!」
少年が力強い声と共に拳を振り、丸太に大きな亀裂を入れる。振りかえりざまに鞭のように足をしならせ、立て掛けた丸太を倒す。
そのまま姿勢を低く取り、丸太に振りあげるような拳を見舞う。重い音を響かせて丸太は浮き、川に放り込まれた。
あの日ユリカは拾った子供を男の子と確認し、「コウ」と名づけた。
育児経験など何もない彼女であったが、周囲の惜しみない助力と彼女自身の尽力もあり子供はすくすくと成長。
その姿は今や赤子とは呼べず、青年とまでは行かずとも少年と呼べるまでに成長している。
黒髪はさっぱりと短めに揃えられ乳歯も多くが生え換わり、目元が少し似ている所を除けば赤子の頃と比べようがない。
コウは張りつめた気を少しずつ緩めると、大きく息を吐いて育ての母へと向き直った。
「……母さん、どうですか?」
「ま、まあまあだな。……いや、蹴り技にまだムラがあるか」
ユリカはその言葉にはっとして、少し慌てて言葉を紡ぐ。
その指摘にコウはうっ、と言葉を詰まらせた。
「足は狙いをつけるのが難しくて……」
「ふむ、まだまだお前は若い。今無理に上達させるよりは、身体の成長を待った方がいいだろう。焦らず続ければじきに狙いも定まる。……さて、今日はそろそろ終わりにするか」
「はい、ありがとうございました」
コウは礼儀正しく一礼すると、鍛錬用の丸太を片付け始める。その腕に盛り上がる力こぶが、母との毎日の鍛錬の成果を表していた。
薄く筋肉の乗った小さな体はあどけなさの中に雄としての強さを残し、母性と女を著しく刺激する。
知らずのうちにコウの身体を目で追っている自分がいる事に──ユリカは未だ気づけないでいた。
その後、母子はねぐらに戻り食事を取る。主にユリカが森の獣や魚を取ってくるのだが、この日は
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