ビーカーやフラスコが詰め込まれた棚。大小さまざまなサイズの本が重なった塔。ごちゃごちゃと脈絡なくモノが配置され、積み上げられた乱雑な部屋。中はカーテンまでもが締め切られ、汚れた埃っぽさの中にも、夜らしい冷やりとした空気が部屋を包んでいる。月明かりも入ってこない闇の中には、魔道式のランプだけが机に置かれて、一人の男の手元を薄明るく照らしていた。
「……ん、あんまりしっくりこないな……」
その男――ヴィクターはぼそりと独り言を呟くと、たった今までペンを走らせていた紙を取り上げ、渋い顔で睨めっこを始めた。紙には魔術の構成式や道具の組成式、そして設計図らしきイラストなどが複雑に描かれている。彼は今、自身の考案したマジックアイテム“狐鈴もふもふ”開発の真っ最中なのだ。
ヴィクターは年若いながら優秀な魔術師であり、自宅でオリジナルのマジックアイテムを作成して販売する魔法店を営んでいた。主なヒット商品はミミックの宝箱から考案された“ミミックボックス”。中が魔力で作られた異次元空間になっているため、抜群の収納力を誇るとして人気になった代物だ。中が広すぎるせいで、時おり中にしまった物が紛失するのはご愛嬌である。
そして目下製作中の“狐鈴もふもふ”は、身に付けると妖狐のような尻尾と耳が生えるというアクセサリー……になる予定。メインターゲットは妖狐の気分を味わいたい方々、もしくは旦那もペアルックにしたい妖狐や稲荷の方々だ。以前にも類似した商品“サキュバスのピアス”を作成し、そこそこの人気が出たため、二匹目のどじょうを狙っているのである。ついでに“もふもふ”が売れれば、今度はワーキャット型の変身アイテム“猫鈴にくきう”を作る算段もある。
(もっと放出魔力を抑えられるようにしないと。人間が付けると魔物になっちゃうし――あれ? 誰か来た?)
再びペンを取って思考の海に埋没していこうとしたヴィクターの耳に、部屋の外でカラカラと呼び鈴の鳴る音が届いた。
店も閉めている時間であり、普段であればあまりやって来る人もない時間帯だ。いったい誰が何の用事だろうか。不思議に思いながらヴィクターは椅子から立ち上がり。物を蹴散らしながら部屋を出た。規則正しい間隔で自分を呼び続けるベルの音に、慌てて店の裏口――自宅の玄関口へと向かって小走りに駆ける。
「すみません、お待たせいたしまし……た……?」
謝罪の言葉を述べつつ玄関を開けたヴィクターだったが、そのまま扉に手を開けた状態で固まってしまう。
扉の先に立っていたのは見知らぬ美少女。
ヴィクターを見上げる瞳は紫の光を帯び、妖しく夕闇の中に輝いている。灰色の髪はあまり手入れをしていないのか、あちらこちらに跳ねているが、それも彼女の魅力を全く損なっていない。整った容姿に見える肌の色は生気の感じられない青白さだが、同時に一種の背徳的な妖艶さも醸し出していた。
全身を覆う闇色のローブはボロボロにほつれ、背負った巨大な十字架は両端からドクロの飾りを垂らし、目に見えるほどの魔力と共に禍々しさを強調する。ローブを留める首元ですら骸骨のような造形だ。
少女らしからぬ異様すぎる姿をした来客に、ヴィクターは困惑の表情を隠せずにいる。一方の少女の方は表情の見えない顔のままで、ぼそりと呟くように挨拶をした。
「……こんばんは」
「あ、うん。こんばんは……」
抑揚のない挨拶にとりあえずの返事をするヴィクター。目の前の少女が何者かは分からないが、まず用件を尋ねることが先だろうと、今度は自分から声をかける。
「えっと……。君、ウチに何か用なのかな?」
「うん、私はキミの勧誘に来た」
「勧誘……? あの、何の?」
いったい何の勧誘だというのだろうか。新聞ならハーピー種の誰かがやって来るのが定番であるし、サバトなら幼いロリっ娘がやって来るはずなのだが。だがしかし前に訪問してきたサバトの勧誘員(かわいい魔女だった)にはお菓子と玩具をプレゼントしてお帰り願ったはずだ。
首をかしげるヴィクターの前で、ローブを纏った少女はじっと彼を見つめながら、また感情を抑えたような声で口を開いた。
「キミ、私の実験体になりませんか?」
「……はい?」
実験体、という言葉にヴィクターが素っ頓狂な声を上げた。
しかし訳の分からないヴィクターにお構いなしに、少女は淡々と話を続ける。
「とろ顔の耐えないやらしい職場です」
「あの」
「初心者でも安心。むしろ初心者が大歓迎です」
「いや」
「私が一から手取り足取り丁寧に教えるのでご安心ください」
「その」
実験体に手取り足取りもあるものか。ますますヴィクターは混乱するばかりだが、なんとか笑顔を崩すことはなかった。まだ会話の拙い小さな子供を相手に玩具を売ることも多く、こういった
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