もしも雨の振る日に傘もささずに濡れている女性を見かけても、男性は決して近づいてはいけない。ましてや微笑みかけるなんてもっての他である。
なぜならその女性は妖怪“ぬれおなご”であり、もしも微笑みかけてしまった時は、彼女にずっとつきまとわれてしまうからだ。
……なんて話は魔物娘が当たり前にいるこのご時勢、梅雨の時期になると耳にタコができるくらい聞かせられるものなのに。
どうにも俺には注意力というものが足りなかったらしい。
「……………………」
「だんなさまぁ」
ザァザァと降り注ぐ雨の中、人気の無い道を歩く俺と、その後ろをヒタヒタついて来る女性。
ずぶ濡れの和服は透けていて、彼女の青白い……っていうかもろに青い肌にはり付いてしまっていて。
その足元に大きく広がった水溜りは、ウネウネとスライムのように動いていた。
ていうか、ように、じゃなくて確実にスライムだろう。脚と水溜りが溶けて混ざってるし。
とまあ、誰が見ても明らかなように、彼女はぬれおなごだ。
「……………………」
「だんなさまぁ」
さっき街角で人にぶつかりそうになって、身を引いた拍子に相手が笑いかけてきたのが見えたから、つられてこっちも笑ってしまったのだけれど。
その相手というのが彼女であって……マズいと頭が認識したときには、事態はもう手遅れ。彼女の口から出た第一声は『だんなさまぁ♪』。
……その笑顔は、確かにちょっとドキっとするぐらいには、可愛かったけど。
それはさておき、我ながら迂闊だったと嘆いてみても後悔は先に立たないし、このまま彼女をお持ち帰りするわけにもいかない。
しかし、どうしたら彼女はついて来なくなるかなぁ……。
「……あのさ」
「だんなさまぁ?」
脚を止めて彼女の方に振り向くと、向こうもそれに合わせてピタリと止まった。
律儀に俺の三歩後ろの距離を保ってついて来る行動は、貞淑な大和撫子のそれそのもので。
首を傾げて微笑む様子は、しっとりと濡れた和服という格好も相まって、まさに水も滴る良い女性だ。
が、である。
「俺は君の旦那様じゃないし、旦那様になる気もないよ?」
「だんなさまぁ」
「……俺の言うこと、分かる?」
「だんなさまぁ」
「分かってなさそう……」
残念なことに、中身はしっかりスライムちゃんのお仲間のよう。
見た目と裏腹の幼げな口調で、ニコニコと『だんなさまぁ』を繰り返すだけでは、マトモな会話は期待できそうもない。
雨の音にため息を交じらせて、こっちがまた前を向いて歩き出すと。
「だんなさまぁ♪」
向こうは嬉しそうな声を雨に混じらせて、また三歩後ろをヒタヒタとついて来てしまって。
「……ついて来たって、家には絶対に入れないからね。早く他の良い人を見つけてよ」
「だんなさまぁ」
今度は振り向くことなく言ってから、俺は足早気味に我が家への道を急ぎ出した。
もうこなったら無視して帰るのが一番だ。あのドロドロなスライムの脚じゃ、こっちが急げば簡単に撒けるだろう。
よしんば家までついて来ようが、今時の男の独り暮らし。ドアにはしっかり魔物娘が侵入できないように対魔力ロックぐらいはされている。
そうして放っておけば、そのうち諦めて他の人を探しに行くに決まってるさ。
「だんなさまぁ」
「……………………」
「……だんなさまぁ?」
先ほどまでのペースと違った歩幅に、背後からの不思議そうな声。
「だんなさまぁ」
呼びかけにも反応せず、彼女を突き放すように、どんどんと歩みを進めていけば。
「だんなさまぁ」
「だんなさまぁ、だんなさまぁ」
「だんなさまぁっ」
少しずつ距離が離れていく声は、必死に俺のことを呼び続け。
「……だんなさまぁ」
「だんなさまぁ……」
「だんな、さまぁ……」
それは段々とか細くなっていき、そして遂に声の主から、ついて来る気配が止むと。
ポツリ、と。
雨に消え入りそうな、今にも泣き出すような、震えた声で。
「――だんな、さまぁ……」
……あー、もう。
なんでそこまで必死になって俺を呼ぶのさ。
そんな風に呼ばれ続けたら、俺だって。
君を放っておくなんて、できなくなっちゃうじゃないか。
「――ほら、おいで」
バシャリ、と身を翻した俺の足元で水溜りが跳ねる。
傘を持ち上げ、人が入れる隙間を作って、彼女に向かって手招きをすると。
「ぬれおなごだからって、傘に入っちゃいけない理由なんてないんだ」
ぬれおなごなのに、彼女の表情はまるで。
雲間から覗き始めた青空のように、ぱぁっと輝きだして。
「だん
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