僕は海中散歩をするのが日課になっている。
気付けば海の中で暮らし始めていた僕にとっては、それは全く普通のことではあるけれど。
だけど、例え見慣れた光景であったとしても、海中からの風景というのはとても綺麗なのだ。
見渡す限り広がる、無限の青い世界。
見上げると揺らめく陽光が水中に差し込み、足元には色とりどりの珊瑚達が彩りを添えていて。
ありとあらゆる海の生き物達が、鮮やかに群れをなして傍らを通り過ぎ。
地上にあるっていう沢山の絶景にも、なんら劣ることはないだろうとは思っている。
さて、その日課の海中散歩なのだけれども。
僕だけでなくて、いつも一緒に散歩をする人がいたりする。
で、その人が僕の小さな悩みなのであったりもする。
「……姉さん。姉さんってば」
「んー? どうしたのー?」
僕の呼びかけに、のんびりとした声で返事をする姉さん。
トリトニアという種族の例に漏れず、美しいドレスのような鰭をひらめかせる様子は、海の貴婦人と言って差し支えなく。
目が隠れるくらい長い前髪の奥には、海のように深い自愛の眼差しが隠れている。
物心ついた頃から僕を育ててくれた彼女は、まさしく僕の最愛の人だ。
だけど、姉さんという人は、ちょっと。
いや、大分のんびり屋さんのマイペースで……。
「今日ぐらい放してよ。僕、自分で泳ぐって」
「うふふー
#9829; だぁめー
#9829;」
「だぁめー、じゃなくてさ?」
身をよじる僕を、姉さんは後ろから抱きしめた体勢のまま、ますます深く身体へと沈みこませていく。
胸部にまきつく両手に手をかけても、姉さんは細腕のどこから出るのか分からない力強さで、ぎゅっとキツく握って離さない。
背中に感じるのは、巨大な二つのふにゅふにゅ。
未だ慣れることない感触に気恥ずかしさを覚えながらも、僕はなんとか脱出しようともがき続け。
一方の姉さんの方は相変わらず機嫌が良さそうに、ふわら、ふわらと、海の中をゆったりとしたペースで泳いでいく。
こんな見る人が見たら胸焼けしそうな甘ったるい代物が、僕ら二人の日常的な散歩スタイルなのである。
つまり、こう。姉さんが僕を後ろから抱っこして、他人に僕らの仲の良さ見せ付けるようにしながら泳ぐ。
しかも非常にゆったり、1時間は軽く経過するぐらい、イチャイチャイチャイチャと。
「はーなーしーてーよー」
「だーめーでーすーよー
#9829;」
こうして姉さんが僕を逃がさないのも、姉さんの種族上の特徴が関係している。
トリトニアは自分の身体に沈み込んだものを、自分の所有物だと認識する魔物だ。
だから姉さんが初めて僕を拾ったその時から、彼女は僕のことを自分のものだと確信してしまっており。
おまけのおまけ、同時に僕は立派な旦那さま認定までされてしまっているのだ。
それは、姉さんの夫っていうのは別に構わないのだけれど。むしろウェルカムなんだけれど。
正直、この散歩スタイルはそろそろ卒業したかったりする。
小さな頃は僕だって喜んでいたけど、もう僕だって大人になってきてもいるし。
とは言うものの、姉さんは全然僕のことなんてお構いなし。
今日も僕らは遥かな大海の中でイチャツキをばら撒いていくのである。
「姉さーん? 姉さんってばー?」
「わたしの、かわいい、弟くん
#9829; わたしの、素敵な、旦那さま
#9829;」
「あーもー、聞いてなーい」
全然僕の言葉が伝わってないらしい様子に、流石に僕も諦めの念が沸き、がっくりとうなだれた。
力なく周囲を見渡せば、岩に腰掛けているマーメイドさんがクスクスと生暖かい視線を投げかけている。
かと思えば向こうの岩陰にいるマーシャークさんは、妬ましいといった目つきをしたまま岩にガジガジと齧りついている。
その他、海の魔物娘たちは一様に僕ら二人に注目していて。
最後に脇を泳いでいく魚たちは、気のせいだろうか、半目で呆れたように一瞥していった。
完全な見世物状態。もう気にするだけ損だな、これ……。
「わたしの、ものー
#9829;」
「姉さんの、ものー」
最高にご機嫌な姉さんの声と、僕の気が抜けたような声が水の中を漂うように伝わっていく。
僕の吐いたため息は、大きな泡になって海面へとプカプカと浮かんでいき。
姉さんの吐いたハート型の泡が、僕の泡にキスをするようにくっつくと。
二つの泡はパチンと、軽い音を立てて弾け、そして溶けていった。
おしまい♪
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