酔いと眼鏡と先輩と



 無断欠勤しやがった新卒社員の穴埋めに翻弄された一日が、ようやく終わりを告げた夜。

 ガヤガヤと賑わい始めた居酒屋店内の、更に奥まった場所にある座敷席。俺は今、その片隅の席に胡坐をかきながら、眼前をほろ酔い気分に歪ませていた。最近飲めるようになったビールの程好い苦味が、口にしていた鶏の唐揚げの脂っこい風味を喉の奥へと洗い流しながら、疲弊し切った身体にじんわりと染み渡っていく。こんなに美味しい飲み物を何故今まで敬遠していたのかと、過去の自分自身を呪わんばかりだった。

 そうして、ジョッキに注がれた黄金色の幸福を数度傾けた後。ふとあることに気が付いて、目の前の四角い眼鏡を、酔いの回り始めた頭でふらりと眺めた。「目の前」とはいっても、それは俺自身が現在進行形で掛けている自前の眼鏡に対してではなく、俺から見て左斜め向かいに座る人物が身に着けているもう一つの眼鏡に対してのことだ。この場にいる俺以外のもう一人、お通しとして出された蛸ワサビをちまちまと箸で突ついているその人物、現在勤めている会社の先輩である女性。彼女の掛けている眼鏡のレンズが青く透明な光を反射していて、俺はその輝きに目を奪われていたのだった。

 ちなみにだが、今この場には俺と先輩以外の知り合いは誰もいない。やたらと慌ただしかった本日の業務での、俺の頑張りに対する労いということで設けられた先輩の奢りの席だからだ。つまりは、二人きりである。入社したての頃から憧れている先輩との、二人きり、である。別にこれが初めてという訳ではないが、胸が弾まずにはいられない。先輩に良いところを見せたくて本日のピンチを必死になって乗り越えた甲斐があったというものだ。

(……まぁ、そんなことは今は置いておいて、だ)

 先輩のことを見つめていることでつい意識してしまった事柄から本筋を戻した。

 この青い輝きは、今流行りのブルーライトカットレンズ特有のものだったか。パソコンやテレビなどの映像機器の画面から発せられるブルーライトと呼ばれる可視光線を反射して目を保護する、とかいう特殊なレンズだ。それがどこまで効果があるのかはあくまで「個人差」ということらしいが、一日の大半がパソコン業務という今の職場の関係上、眼精疲労に悩まされることが当たり前になっていたものだから、少し気にはなっていた。

 記憶を辿るまでもなく昨日までの先輩の眼鏡はこんな輝きなど発していなかったし、そもそもが、先輩のトレードマークであった黒縁フレームが今では鮮やかな朱色のアンダーリムへと変容している。昼間は仕事に忙殺されていて気が付かなかったが、どうやら眼鏡を新調していたらしい。恐らくは昨日の退勤後にでも眼鏡屋に寄ったのだろう。朱色のラインが彼女の青色の肌によく映えていて、贔屓目に見ずともとても似合っているように思えた。

 一応補足しておくと、「青色の肌」というのは先輩が人間ではなく、アオオニという種族の妖怪であるが故の特徴だ。名前通りの真っ青な肌の色に、おでこの辺りから生えた太く黄色い二本の角。今の会社に就職して初めて目にした時は魔物慣れしていなかったのも相まって度肝を抜かれたものだが、今ではその記憶も懐かしい。よくよく見れば綺麗な色をしているのだ。それこそ、今の先輩の眼鏡の光みたいに。

「……くっ、この……っ!」

 当然、同じ眼鏡族としては興味を示さずにはいられない。ヌルヌルと箸の間を滑り逃げていく蛸の切り身に悪戦苦闘している先輩、その絵面の可笑しさからは取り敢えず目を背けつつ。俺は若干前のめりになって、声をかけた。

「……先輩、眼鏡変えたんですね」
「ん? ……おお! 良く気付いたな!」

 俺の声に反応して、眉間に皺を寄せたままでこちらに目を向ける。そしてすぐに表情筋を緩めると、俺より年上とは思えないほど無邪気な顔で微笑んだ。いつもキリリと引き締まった表情で後輩達の指導に当たっている、会社での厳しいイメージとはかけ離れたその笑みは、平時とのギャップも相まって限りなく魅力的だ。

 少し酒が入って気が緩んでいるせいもあるのかもしれないが、普段はあまり見ることのないその表情をこうして独占出来ているのは、めげずに先輩との交流を欠かさなかった俺自身の努力の賜物でもあるだろう。先輩が実際に俺のことをどう見ているのかまでは、分からない。だが、こうして男女二人きりで酌み交す程度には両者の仲が発展しているのは事実であり……それが何処か、誇らしい。

「ええ、うっかり見逃すところでした。何だか鮮やかになりましたね」
「んふふー。そうなんだよ。これ、昨日の帰りに受け取ってきたんだ。……なぁ、似合ってるか?」

 と。満足そうに口角を吊り上げた先輩は不意に、ずいと、その凛々しく整った顔をこちらに寄せてきた。ふわりと靡く銀のロングヘ
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