痴漢電車


とある市内。ごく普通の一軒家や背の低いアパート、所々に高層マンションなどが軒を連ねる住宅街の一角。凍り付くような寒空の下、眩い朝日が煌々と降り注ぐ線路の上を、内部に人を満載した電車が走り抜けて行く。

通勤・通学ラッシュに見舞われている車内は、スーツ姿の会社員や制服姿の学生達など、特定の人種で埋め尽くされていた。暖房の効いた暖かいその場所では、朝刊を読み込むサラリーマン、ヒソヒソと猥談に花を咲かせる魔物の女子学生、イヤホンで音楽を聴きながら携帯電話を弄っている男子学生、その他、人波に揉みくちゃにされながら渋い顔をして吊革に掴まっている人々など、多種多様にひしめいている。職場や学校に至るまでの時間を、それぞれが思い思いに、またはやや窮屈そうに過ごしていた。

ーーひゃ……

そんな雑多な空間の何処かで、小さく、本当に小さく、か弱い悲鳴が上がった。しかしそれは、電車の車輪とレールが織り成す騒音の前にいとも容易く掻き消され、誰の耳にも届くことは無かった。

最後尾の車両、その中央にある自動扉の前に、年端もいかない小柄な女の子が一人、立っていた。左手で扉脇の鉄棒に掴まって、揺れや人波に流されないように堪えている。今しがた、小さな悲鳴を上げた女の子だった。

年の頃は十代前半、背丈は周囲の大人や学生達と比べて幾分低く、齢相応に幼さの残る可愛らしい顔立ちをしている。首には丈の長いタータンチェックのマフラーが巻かれていた。背中に背負った茶色い鞄と、身に纏っている黒いブレザーの胸元に「中」と目立つように刺繍されているのを見るに、市内にある中学校の生徒だと思われた。全体的に飾り気が無い、大人しそうな雰囲気を漂わせている。

外見を見る限り、人間ではなく魔物であるらしい。ロングストレートの黒髪から覗く、側頭部から生えた二本の角。そして腰の辺り、ジャケットの裾からは一対の翼が、スカート上部に開けられた通し穴からは足元まで届く長い尻尾が、それぞれ伸びている。その特徴から、この女の子は魔物の中で最もポピュラーかつ、「彼女達」の象徴とも言える存在、サキュバスであろうと推察できた。

ーーは……ぁふ……っ

半開きになった女の子の口元から、吐息混じりの掠れ声が細く、洩れ出した。先ほどの悲鳴とはまた違う声音だ。湿り気と熱を帯びているそれは目の前の自動扉の窓を白く曇らせ、その後すぐに蒸散し、空気中へと消えた。

車内の暖房のせいか、はたまた身体の調子が悪いのか。女の子の顔も吐息と同様、大分熱っぽく、紅い。しかしそれは暖房の暑さに当てられたにしては朱に染まり過ぎ、風邪を引いているにしてはその顔色はさほど悪くない。……羞恥に染まっている。あえて表現するならば、それが妥当だろうか。

ーーんっ……!

次ぐ強張った声と同時。細く整っていた眉がハの字に歪み、唇は真一文字に結ばれる。畳まれた翼と垂れている尻尾が、ピクリピクリと小刻みに跳ねる。プリーツスカートを掴んだ右手に、キュッと力が籠り。もじもじと内股が擦り合わされ、黒のニーソックスが衣擦れの音を立てた。

電車の揺れに隠されてはいたが、女の子の様子は、明らかにおかしかった。悶え、身動ぎし、ついには顔を俯けて何かを我慢するかのように固く目を瞑る。彼女の心身を脅かしているのだろう、「何か」。それは、一体。そうして身を硬くしたまま、人知れず耐え続ける。

しばらくそうして耐え凌いだのち、女の子は閉じていた瞼を、ゆっくりと開いた。窓の外へと視線を向け、電車の後方へ流れ去る景色が数分前と殆ど変わっていないことを確認し、息をつく。そして弱々しくも、全身に力を込めて。かの「何か」を探るように……否、その「何か」を確認するために、自身の背後へ恐る恐る、振り向いた。

女の子の右後方には、男が一人、立っていた。
見た目はまだ若く、二十代半ば。背丈は成人男性の平均からやや高めの長身で、髪を短く切り揃えた清潔感のある出で立ちをしている。縒れの無いピシリとしたスーツの上には、厚手のロングコートを着込んでいた。快活なサラリーマンといった印象を受けるその男は、右手で吊革に掴まりながら、女の子の身体にピタリと寄り添うように直立している。

今この場所が通勤ラッシュ中の電車内である以上、乗客同士の身体がある程度触れ合ってしまうのは仕方のないことだ。……が、とはいえ、そんな今の状況を鑑みても、女の子と男の身体はあまりに密着し過ぎているように見て取れた。

ーーぁぅ……っ!

幾度目かの呻き声。男の姿を視界に入れてすぐ、女の子はビクリと全身を震わせて、視線を前に戻してしまった。再び伏せた目尻には、薄らと涙が滲んでいる。その様子はまるで、誰かに辱めを受けているかのような……

……目的地に到着するまで決して開放されない密室に、これだけ雑多な人や魔物が
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