三月一日(日) 晴れのち曇り
今日から日記を付けてみることにする。
大した理由は無い。こうして日々の記録を付けることで、朝早くから仕事に行って定時を過ぎて帰ってくるだけの毎日にわずかでも彩りを添えられれば、と考えた次第だ。仕事以外にやりたいこと、例えばなにか趣味でもあれば見えるものも違ってくるのかもしれないが、あいにくとこの世に生を受けて三十余年、まともに続いた趣味は一つたりともありはしない。仕事、仕事、そして仕事。改めて考えてみればこれまでの人生、いったい自分は何をやっていたのだろうと心底思う。
……のっけからネガティブな話になってしまったが、ともかく。折角始めたことだ、たとえいつか飽きがきてしまうのだとしても、そのときまでは続けていこうと思う。今日は他に特筆すべき出来事も起きなかったので、この辺りで区切る。
三月二日(月) 曇り
仕事日。毎度ながら定時を大幅に過ぎて帰宅。疲れた。
職場に着いて早々、なにやら部署が騒がしいなと思ったら、どうやら後輩の男女が職場結婚をしたらしい。平時のピリピリせかせかとしている室内は一転してお祝いムードに包まれていた。
とはいえ自分には全く関係の無い話なので、適当に祝いの言葉を送り、すぐさま自分のデスクに直行していつも通りに仕事を始める。同じ部署とはいえワンフロアの大半を使っただだっ広い部屋だ、件の男女とも席は遠く離れているし、当然ろくに会話したこともない。そんな私が無理に割り込んでいったところで華々しい雰囲気に水を差すだけだろう。向かいの席に座る年配女性たちが「愛想が悪い」だの「いい歳して独身云々」だのとあからさまに聞こえる声で陰口を叩いていたが、まぁ、いつものことだ。
……正直な話、別に私だって女性とお近づきになりたいと思わないことも無い。
だが、今の今まで女性と関わる機会の無かった私には、お付き合いにまで至る方法がまるで分からなかったし、そもそも、こんな行き遅れの三十代平社員相手に伴侶ができるという事態そのものが全く想像できなかった。恐らくは今後の人生、一生女っ気とは無縁に生きてゆくに違いないと妙な達観すら覚える始末だった。せめて童貞だけは卒業しておこうかとは何度も考えたが、水商売に手を出してしまうのだけはどうにも不純に思えて、結局、未経験歴は経年劣化したゴム紐のように伸びていくばかりだった。
いっそ向こうから寄ってきてくれれば、苦労は無いのだが。
そんなこと、ありえるはずが無いだろう。
……つらつらと下らないことを書き連ねてしまった気がする。
今日はここで区切ろう。
三月八日(日) 雨
約一週間ぶりに日記を書く。
前回から随分間が空いてしまったが、仕事が忙しく、日記を書く気力が湧かなかったため仕方がない。突然病欠した後輩の穴埋め、上司による大量の書類整理の押し付け、行きたくもない飲み会の強制参加。その他もろもろ。一週間毎日のようにこのレベルの面倒事が重なれば、どんな人間でも疲れ果てるというものだ。
つい先ほどまで美味くもない発泡酒を煽りながら、私はこれまでの人生について考えていた。
将来のことなど何も考えずにただ漠然と過ごした少年時代。実家の農業を継ぐのが嫌で、都会への憧れのみを指標に家を飛び出した高校卒業時の自分。両親の援助無しに、そしてただ一つの目標も無しに都会人として生きることの無謀さを、嫌というほど思い知った一年後のあの日。けれども、「こんな田舎で生きてられるか」と啖呵を切った手前、のうのうと実家に舞い戻ることもできず、くだらない意地とプライドだけで二十年近くをこうして生きてきてしまった。
……やり直すには、何もかもが、遅すぎる。
今更ながらに痛感する。
私は、都会で生きるのには向いていない。
無機質にそびえ立つビル群に、有象無象による無数の喧噪、くたびれた風貌の私に対して向けられる、憐憫の入り交じった視線。その何もかもが私を無性に苛立たせる。そのたびに思い出すのは、子供のころの古ぼけた記憶だ。周りを取り囲む山と緑、広大な田畑に、まばらな人家。ゆっくりと過ぎていく時間。恐らくは私の半生においてもっとも心穏やかだった、かつての日々の記憶。漠然としてはいながらも、目に入る全てが輝いて見えていた。
本当は、ずっと前から分かっていたのだ。
私という人間に本当に似合っているだろう生き方は、今この場所には、どこにも無いのだということを。
できることなら一刻も早くこの場を逃げ出し、ビルも人ごみも何も無い田舎へと引っ越したい。仕事や人々の視線に振り回されることなく、日々を生きていきたい。そして小さな畑を耕して自給自足をしながら、のんびりと慎ましやかな生活を送るのだ。
……そんな好き勝
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