放課を迎えた学校、人気の失せた廊下に、小柄な影が一つ。
カポラカポラ、と特徴的な足音を響かせながら歩を進めるその人影は、この学校の生徒であろう、年若い少女のものだ。胸元の赤いリボンが目に映える、ありふれた黒いデザインのセーラー服をその身に纏っている。
廊下に鳴り響く少女の足音は、よく聞けば二人分。この階の廊下には少女一人しか居なかったが、何のことはない。少女が人間ではなく「魔物」であり、その種族が、生まれながらに馬の半身を持つケンタウロス種に属している、というだけの話だった。
種族名は、ナイトメアという。
馬は四つ脚、足音が二人分聞こえるのも、当然だった。
(ちょっと、遅くなっちゃったかな……)
歩きつつ、少女は思う。
彼女にはこの日、日直の仕事があった。
現在は最後に残っていた書類整理の業務を終えて、自身の教室へと戻っている途中だった。プリントの枚数確認や整理に予想以上の時間が掛かってしまったうえ、教室には一人、同じく日直であるクラスメイトを待たせてしまっている。自然、若干足早になりつつ、教室への帰路についていた。
少しして、特徴的な足音、馬の蹄の鳴らす音が止む。
頭上の標識に「2ー3」と書かれた、馴染みのある教室の前で立ち止まった少女は、閉じられていた引き戸の取っ手にそっと、手を掛けた。
「……松原くーん、書類整理、終わったよー……?」
どこか控えめに、ゆっくりと引き戸が開かれて。
大分傾いてきた西日の差し込む教室に、か細くも可愛らしい声が一つ、零れた。まだ幼さの残るその声音は、大人しい、というより、若干の弱々しさを感じさせた。
そんな、一つ風が吹けば掻き消えてしまいそうな声には、誰も応えはしなかった。とはいえそれは別に、その声が小さ過ぎて聞こえなかった訳でも、もとより教室に誰も居なかったという訳でもない。
その教室内に唯一居た人物……少女が「松原」と呼ぶ、同じく日直であるところの少年が、自身の机の上に突っ伏してぐっすりと寝ていたためだった。
「……あれ? もしかして、寝ちゃってる……?」
返ってこない返事と、教室の入り口から見えた少年の寝こける姿。その様子を確認した少女は、気弱そうに見える垂れ目に、愛用の小さな黒縁眼鏡を掛け直しつつ。セミロングの黒髪をさらりと流しながら、教室内へと歩を進める。
足音は極力立てず、忍び足で。
そういえば、今日の体育の授業では松原くん、結構頑張ってたっけ、などと、頭の隅で考えながら。
「松原くーん……?」
小さくもコツコツと、どうしても鳴ってしまう蹄の音に若干の緊張を覚えつつ、少年の眠る机の側へと歩み寄っていく。日直の仕事が全て終わり、後は帰宅するだけとなった以上、少女としては少年に起きてもらった方が助かる……のだが、その見た目通り控えめで、どこかおどおどとした所のある彼女の性格上、ぐっすりと眠っているだろう人間を無理矢理起こす気には、なかなかなれない。その結果としての忍び足だった。
西日の紅い光が、乱立する机や椅子に色濃く長い影を生み出させる、そんな、穏やかに燃え行く世界へと、歩を進め。少年の机の左横まで近寄った少女は、四本の馬脚を折りたたむようにしてその場に座り込む。そしてそのままもう一度、先と変わらない声量で話しかけた。
少女に、自分の声が他と比べて小さいのだという自覚は、無い。
「起きないと、先に帰っちゃいますよー……」
再三に渡る少女の呼びかけ。しかし当然のことながら、囁くようなそれは虚しく教室の空気へと溶け入り、対して少年は身動ぎ一つせず、ただただ、安らかな寝息を立て続けるのみだ。しばらく待ってみても一向に起きる気配のない少年の様子に、少女は困ったように眉根を寄せた。
「むぅー……」
同時に、頬を膨らませて、不満げに唸る。
その様は、拗ねた子供のような、それでいて、まるで出不精な夫を叱りつける寸前の新妻のような。普段の、口数が少なく大人しい彼女を知る者ならば、それはまずもって見たことの無いだろう姿だ。……それはつまるところ、彼女にとって目の前の少年が、他の者には見せないような自分の有り様を(例え少年が眠りについていたとしても)何の抵抗も無く見せていられる存在……心を許している存在であることを、暗に示していた。
何処か遠慮がちな様子を見る限り、恋人未満の関係ではあるようだったが。
……と、その時。
「……あ」
少女はふと、何かを思い付いたような声を、小さく上げた。パッとその脳内に想起されたのは、漫画などではよくある、ありふれた
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