この町から出ていけ、と誰かが言った。
優しかった隣の家のおじさんも、お母さんと仲が良かった近所のおばさんも、口には出さないけれど同じ事を思っているのは見て取れる。誰も彼もが厄介者を見る目を僕に向けていた。
別に誰が悪いというわけでもない。しいていうなら、僕の運が悪かっただけ。
困っていたら誰かが助けてくれる、なんて幻想は、とっくの昔に壊れていた。祈る神様も、もういない。
行く宛なんてどこにもないけれど、なけなしの荷物を持って産まれ育った町を出る。少なくともここには、自分の居場所はもうないから。
町の外で立ち尽くして、やけにぼんやりとした頭でこれからどこへ行こうかを考えていると、
『レン、いい? 絶対に――』
ふと、昔から言い聞かされていた話が頭によぎった。
絶対に行ってはいけない街の話。
お父さんからもお母さんからも、町の人からも教会の神父様からも行商のお姉さんからも、耳に胼胝ができるほど聞かされた話だ。
なんで、と僕が聞くと、揃ってみんなは食われてしまうからと言う。
魔物の街、ガルセア。早く寝ないと北にある魔物の街から魔物がやってきて頭から食べられてしまうぞ、と小さい子供の頃はよくそうやって脅かされたものだ。
「・・・・うん」
なぜだか僕は、その街に行ってみようと思った。
決して、期待といった甘い感情を抱いたわけではない。酷く分の悪い賭けだということは自覚してる。
そもそも魔物の街に辿り着けるかもわからないし、辿り着いたとしても話すら聞いてもらえずに殺されることだってあるだろう。到底、割に合うとは思えない。
それでも僕は、北へ進路をとった。
このときの僕は、別に死んでも構わなかったから。
外から聞こえる鳥の囀りで目を覚ました。窓から柔らかい朝日が射し込み、部屋全体を照らしている。この様子だと、昨日に続き今日も天気は良さそうだ。
来たばかりの頃は慣れなかった柔らかいベッドから体を起こし、小さく欠伸を一つ。そうしてしばらくの間ボーッとしていると、頭も徐々に鮮明になってくる。僕は毛布を除けてベッドから出ると、洗面台へと向かった。
洗面台に備えられている立派な鏡に、見慣れた自分の上半身が映る。高くない身長、栗色の髪に大きな瞳、あとはほっそりとした体つき。およそ精悍や屈強などといった男らしさとは無縁の容姿に、思わずため息が出てしまう。
――せめて、もう少し身長が高くならないかなぁ。
ともあれ、鏡と睨めっこしていても背が伸びるわけではない。手早く身形を整えて、一階へと降りた。
産まれ育った町を出てから一ヶ月は経つだろうか。道中なんやかんやあったが、僕は魔物の街ガルセアへと来ることが出来て、さらには新たな居場所も得ることが出来た。
ガルセアの中央地区に、『エンドレス』という喫茶店がある。二階が居住部分、一階が喫茶店となっているそこに、僕は従業員として住み込みで働かせてもらえることになったのだ。
従業員用の準備室でお店の制服に着替えたあと、厨房を覗いてみるとそこではマスターが朝の仕込みを行っているところだった。
「おはようございます、マスター」
「お、レンくん。おはよう。朝食は用意してあるから」
挨拶を返してくれた男性は、この喫茶店のマスターであり、行き場のない僕を拾ってくれた恩人だ。
なにやらマスターと呼ばれることにこだわりがあるらしく、マスター呼び以外認めないからと、ここで働きはじめの時に聞かされた。
マスターは一人しかいない厨房担当でもあって、店が開けば基本的に表に出てくることはないけれど、いつもとても忙しそうだ。お昼の込み合う時間帯には、へとへとになっている姿をよく見る。
「食べ終わったら店内の軽い掃除の後、表の看板を開店中にしておいてもらえる? こっちは準備出来たから」
「はい、わかりました」
頷いて、さっそく朝食を取り始める。時間をかけないよう急いで食べ終えてから、言われたとおりに作業を開始した。
本格的ではない軽い掃除は目に付く汚れはないかをチェックするのがメインで、そこまで時間はかからない。
「んー。これでよし、と」
手早く済ませたあとに指差し確認。どうやら問題はなさそうなので、看板を変えに店の表へと出た。
そろそろ冬が近づいてるにも関わらず、今日はそんなに寒い感じはない。むしろぽかぽかとした陽射しのおかげで、体が暖かくなってくる気がする。
「レンくん、お早う」
「あ、メアリさん。おはようございます」
声をかけてくれたのは、このお店にいつも朝早くから来てくれるバイコーンのお客様だ。艶やかで美しい黒髪がとても綺麗で、以前に骨董品店で見た高級な陶芸品のように洗練された気品に満ちている。馬の巨躯を覆う体毛も髪の毛と同様でとても格好が
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