「......ん。」
夜明け前、クリスはいつもの時刻に目を覚ました。一紗が稽古を始めるころだ。隣の部屋からは父の雷のようないびきが聞こえてくる。少し小さなため息をつき、クリスは身支度を始めた。
異形の竜を連れて帰ってきた翌日、道場の主だった面々は染射羅より二人を取り巻いている情勢を聞いた。染射羅は自身の事に関してはあまり話さなかったが、一紗が叔母であり、ハーモン州領主でもあるニーナに政治の道具として利用されそうになったことに対し、強い憤りを露わにした。そして最後に皆の前でハッキリと、ゆくゆくは全てを捨て一紗の妻になり、コジョウの地で共に2人で生きていくと宣言をした。
「....羨ましい。」
とクリスは思う。宣言をした時の染射羅の表情。それは恋に恋をする乙女ではなく、愛する夫を支える強き妻の顔になっていた。隣に座っていた一紗は少し複雑な表情をしていたが、染射羅の考えを受けて入れているようだった。
「....羨ましい。」
また溜息が洩れる。一紗の心を完全に掴んだ染射羅を、そして全ての富貴を捨てることを躊躇わない染射羅の覚悟を。
自分はもう身を引いたはず。あの日、一紗と染射羅の睦言を盗み聞きし、自分は到底染射羅に敵わぬことを思い知らされた。
一紗が時折、どこか寂しそうな表情を見せるのをクリスは気付いていた。しかし、それが何なのかは分からず、ただ思慕の情に焦がれながら見ているだけだった。が、染射羅が唐突にやってきたその日から、一紗の表情から暗さが消えた。自分にも見せたことのない笑顔を、一紗は染射羅にだけは惜しむことなく見せているように思えた。
そしてあの日、確かに染射羅の言葉を聞いた。妾は妻であり、そして母である、と。そして聞いた、童が縋り付くような一紗の泣き声を。自分は染射羅には敵わない。心から思い知った。
クリスから見て、染射羅の一紗に対する愛情と執着は、時に異常なものを感じさせる。一紗を己の意思で縛り、あの日は他州の騎士や父のユライアまでも激昂と忘我により殺そうとした。
だがクリスは染射羅を非難する気にはなれない。むしろ、同じ男を愛する女として、ひたむきで一直線と言える染射羅の感情表現を羨ましく思うのだ。
「でも....。」
不安に思ってしまうこともある。いつかあの染射羅の異常な愛情深さと執着が一紗を不幸に陥れ、二人を引き裂いてしまうのではないかと。
「でも、その時にはわたくしがいる。」
自分が願うのは愛する人の幸せ。なら、幸せにするのが自分でも良いのではないか。
出番が回ってくる可能性は無いかもしれないが、それならば仕方がないと諦められる。
諦観と希望を同時に持つこの娘、クリス・セラも奇妙と言えば奇妙な少女であった。
「おはようございますカルマ様....とゾイラ様」
「おはようクリス殿。今日も早うござるな。」
「おはよう、寝覚めは良いが諦めの悪いクリスよ。」
若干の距離感はあるものの、染射羅との関係も現在は安定を見せていた。
そして今日も一日が始まる。
「ふう....。」
明け方の日課である素振りを終えた俺は、傍らで眠っていた獄竜に声を掛けた。
「では獄竜殿。今日もお相手をお願い致す。」
瞼も存在しない竜の暗黒の瞳に明りが灯る。
(今日もか。人というのは忙しなく生きるのだな。)
俺の頭の中に獄竜の低い声が響く。
染射羅様の計らいにより、俺は念話と言う形で獄竜の声を聞くことが出来るようになった。
俺にとって意外だったのは、理性も無いはずの最凶と言われるこの異形の竜が、高い知性を持っていたということだ。染射羅様によれば、遠い昔に魔界に迷い込み、暴れ回って遂に討伐されそうになったところを染射羅様のご母堂、花蓮様に助けられたそうだ。その後数年間を花蓮様と過ごし、やがて冥府へと戻ることになった。その際、礼として自ら花蓮様を唯一の契約者とすることを申し出た。そして、その契約は花蓮様の唯一の子である染射羅様に引き継がれることになる。ちなみに、この獄竜は生来の高い理解力を持っていたが、知性と理性を得ることができたのは花蓮様の薫陶によるものらしい。
「毎日忝い。拙者は少しでも強くなって皆を守りたいのだ。」
(まあ良いだろう。場所は昨日の荒地、死なぬように注意しろ。)
「獄竜よ。手を抜いてはならぬが、妾の一紗に少しでも傷をつけたら冥府に送り返してくれるぞ。」
(ご無理を仰せられる。だが最善を尽くしましょう。一紗、準備は良いか。)
「いつでも。染射羅様も宜しゅうございますか?」
「うむ。」
「お気をつけて行ってらっしゃいませ。獄竜殿、よろしくお願いします。」
「おっすジパングさん。今日もバチバチやってくるんかいな。グロリン、ジパングさんを頼んまっせ〜。」
「では
[3]
次へ
ページ移動[1
2 3 4]
[7]
TOP [9]
目次[0]
投票 [*]
感想[#]
メール登録