第五章 〜悲喜

「....そろそろ起きる時間か。」

夜の明ける前、いつも通りの時刻に俺は目を覚ました。今日も一日が始まる。
がば!と跳ね起きて朝の稽古を始めたいところなのだが.....。

「ん....一紗....。」

染射羅様の手足が絡み付き、身動きが取れない....。結局一晩この体勢のまま俺は堪えざるを得なかった。最初の一刻ほどはひたすら悶々としていたが、それでも眠りにつくことができたのは、日頃の精神修練の賜だろう。
しかし困ったな......。仕方がないので、御無礼ながら染射羅様の手脚をそっと外すことにした。



が........



ビクともしない!俺の首に回された腕は鉄の錠のように開かず、絡み付いた脚は小具足の足絡みのように巻きついて離れぬ。
どころか、染射羅様のお身体に触れた掌から力が抜けていくような感覚が...。

「....うん?どうしたのじゃ一紗?まだ夜が明けるまで半刻はあろうが...。」

薄く眼を開けた染射羅様。眠たげなその表情も美しい。

「な、なれど、拙者は朝の稽古を始めなければなりませぬ。」

「相変わらず真面目一徹よの。じゃがの、朝は寝るものぞ。とりゃ!」

と、染射羅様がさらに身体を密着させた。甘い吐息が顔に触れ、ふくよかな乳房が俺の胸に押しつけられる。

いかん!俺の愚息が、朝の相乗効果と相まって.....。

「染、染射羅様。困りまする。一紗は一人前の男となるために、鍛錬をせねばならぬのです。お願い仕りまする....。」

ほとんど泣きそうになって懇願する。

「ふふふ、戯れに決まっておるではないか。ほんにしようのない子じゃの。」

染射羅様は名残惜しそうに俺から身体を離した。すると、急に身体から温もりが消え、寂しさと不安が全身を覆う。


何だこの感覚は。ひょっとしたら俺は、たった一晩で染射羅様に骨抜きにされてしまったのか....。しかしこの寂しさは....。

「どうしたのじゃ一紗。」

遠き記憶の母のような笑みで、俺の手を握ってくれた。途端に温かい気持ちが心を満たす。

「染射羅様、一紗は....」





 ---------スパァン!!


凄い勢いで部屋の障子が開いた。


「おはようございますカルマ様!!......とゾイラ様。うっかりおられるのを忘れておりました。御無礼お許し下さりませ。」

と、後半は見事な棒読みでクリス殿が登場した。

「女童が。叔母上に頼んで串刺しの刑に....。」

何やら染射羅様の不穏なお声が聞こえたが、俺は慌てて布団から起き上がった。

「お、おはようクリス殿。少し寝坊してしまい申し訳ない。」

が、染射羅様が握った手をお放しにならないので、なんとも中途半端な格好で挨拶をしてしまった。困るのだが、正直俺も手を離したいとは思わないのだ。

「カルマ様。カルマ様ともあろうお方が、なんと締まりのない....。」

そして握り合った手を抉るような視線で見つめる。

「闖入の上に妾が婿を詰るとは、なんとも無作法な女子よの。コジョウならば手打ちぞ。」

むくりと起き上がった染射羅様。低いお声が怖ろしい。

「残念ながらここはコジョウではなく、クリスはあなた様の家来でもござりませぬ。」

朝からいきなりの殺伐とした空気。俺はどうすれば良いのだ?

「ふん。一紗は強きおのこであるが、甘えたい時もあるのじゃ。じゃが、童臭漂う女子ばかりに囲まれておっては甘えられまい。」

嘲笑するように言葉を放つ染射羅様。俺はもう頭が痛くなってきた。

「ど、童臭ですと....!?」

「そうじゃ。一紗はついさっきまで妾の腕の中で....」

「では稽古に参りまする!!」

俺は脱兎の如く布団から離れ部屋を出た。

「クリス殿、申し訳ないが夜具の片付をお頼み申す!」

「あ、これ!待ちやれ。」

無礼千万ながら、聞こえぬ振りをして早足で去る。染射羅様、お許し下され。一紗は生来の不器用者にござる。

その後二人の間にどのような会話があったのかは、知る由もない....。








が、さらに二人の仲が険悪になってしまったのは確かなようだ。

「千四百九十二、千四百九十三、千四百九十四......。」



いつものようにクリス殿が縁から俺の稽古を眺めているが、

「美しいのう。一枚の絵のようじゃ。今度絵師に描かせてみるかの。」

クリス殿と2間ほどの距離を保って染射羅様もご覧になっている。お二人の間で見えない剣戟がずっと続いているのを感じる....。
俺は正直集中できているとは言い難いが、我が主君に無様な姿をお見せする訳にはいかぬゆえ、気合は普段の数倍入る。


「千九百九十八、千九百九十九、二千!!・・・・・ふう。」

「さすがじゃな。ほとんど息も切らさぬ。汗が光って美しいのう。」

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