『まどろみに誘われたら』
「おっそいなぁ……」
静かな部屋の中に、苛立ち混じりの声が響く。
声の主は、テーブルに頬杖をつく一人の少女。
彼女は先ほどから頬を膨らませたままで、不機嫌さを隠そうともしていない。瞳はガラス戸へと向けられていたが、きつい視線はまるでそこにいない誰かを睨みつけるようであった。
片手で肩までかかる栗色の髪を弄りながらも、少女の視線は揺るがない。窓辺に止まっていた鳥たちも剣呑な気配を感じ取ったらしく、さっさと飛び立ってしまってからは寄り付こうともしなかった。
「はぁ」
眉間にしわを寄せ、窓の外を睨んでいた少女だったが、やがて諦め交じりの息を吐き、テーブルへと突っ伏した。天板の上に、髪が広がる。
髪が乱れるのにも構わず、少女――フィオはもう一度、長々と溜息を吐き出す。
「はぁ〜」
子どもの面影をいまだ残す容貌と、小柄ながらも女の特徴を備えだした身体。その微妙なバランスが十代半ばの少女が持つ、独特の魅力を作り出している。絶世の美人とまではいかないが、少女の容貌は目鼻立ちのはっきりとした顔とスタイルとが相まって、人目を惹き付けるには十分なものを持っている。
彼女が笑顔を浮かべれば、道行く人が目を向けるだろうことは想像に難くない。
もっとも、今の彼女は別の意味で人目を引くだろうが。
口をへの字に曲げ、頬を膨らませたフィオの姿は拗ねた子どもそのままだった。そのせいか、実際の年齢よりも受ける印象はずいぶんと幼く感じる。
だが、そんな見た目に反し、フィオの職業は冒険者――あちこちの洞窟やダンジョンを探索し、時には荒事にも関わる命がけのものだった。
いまだベテラン、とまではいえないが、パートナーと共にこの稼業に身を染めてから、彼女もそれなりの場数は踏んできている。今のところ大きな成功はないが、大きな失敗もなく、そこそこ順調に旅を続けてきた。それだけでも、彼女の能力の証明になっている。
この町も、彼女たちにとっては単に旅の途中に立ち寄った場所に過ぎず、いつものように一夜を過ごして後にするだけだったのだが……。
「う〜……」
うなるような声とともにテーブルから顔を上げたフィオは、再び窓の外に目を向ける。
だがその瞳に映るのは、代わり映えのしない空と穏やかな町並みだけだった。
「うぅぅ〜……」
胸中でもてあました苛立ちをぶつけるかのように、少女の細い指がテーブルを叩き出す。
爪が木の天板に当たるかつかつという音を響かせ、彼女は窓から視線を外し、室内を見やった。
大人二人にはやや手狭な部屋の中には、彼女の座る椅子とテーブルと、小物を入れるだけの小さな引き出し。ほかには申し訳程度の調度品しかない。
ベッドも木製の簡素なもので、内装としては典型的な冒険者御用達の宿の一室である。置かれた調度品の程度を見れば、宿賃は推して知るべし、といったところだ。
「はぁ〜あ」
部屋をいくら眺めようと、少女の退屈は紛れてはくれなかった。
もう何度目かも分からない溜息を吐き、少女は視線を戻そうとして、その途中で壁にかけられたコートに目が止まった。
無造作に壁に打ち付けられた釘から下がるハンガー。そこには風雨で色褪せ、くたびれたコートが掛かっている。
「ったく、もう……」
彼女はコートと、そのすぐ側に転がされたバッグを共に睨み、不機嫌さを増した声で呟く。
恨めしげな少女の声は、まるでコートを通じて、その持ち主に呪詛をかけるかのようでもあった。
それもそのはず、フィオがこの退屈な留守番をさせられている元凶こそが、コートの持ち主である青年――ルベルトなのだから。
「ったく、わたしのことなんてちーっとも考えないんだから。自分勝手すぎるわよあいつ」
コートを見つめるうちに湧き上がってきた文句をフィオは口を尖らせ、ここにいない相手にぶつける。主のいないコートはただ、少女の浴びせる文句を受け止めていた。
そもそもの事の起こりは数時間前。二人がこの町で宿を取ったところから始まる。
旅の途中で辿り着いたこの町で無事に宿を見つけ、部屋に荷物を置いて一息。
そこまではよかったのだ。
が、件の青年はいきなり「その辺ぶらついてくる」と言い放ち、フィオのことなどまったく気にせずさっさとどこかへ行ってしまったのである。フィオはその行動を引き止めるどころか、文句の一言も言うことが出来なかった。彼女が我に返ったときには、ただ半開きのドアが見えただけだった。
出かけることについては、まあいい。必要な消耗品の買出しを頼めなかったも、まだ許せる。
問題は、彼がまがりなりにも恋人である自分を置き去りに一人で行ってしまったことだ。それが余計に彼女の苛立ちを加速させていた。
が、いつまでも当初の怒りが持続するわけもなく。現在のフィオの胸中を占めるのは苛立ちとはまた別のものだった。
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