『ちいさなおはなし』
暖かな日差しがふりそそぐ、うららかな春の昼下がり。
「ふぁぁぁ……っと。暇だねぇ」
大通りに面した道具屋の中で、中年の店主が大きなあくびをしていた。
店内に客の姿はなく、商品の置かれた棚が並んでいるだけ。外に目を向けても、窓には見慣れた町の景色が映るだけだった。夕方の買出し時まではまだ時間があるせいか、店の前を歩く人の数もまばらであった。
「ふむ」
手を伸ばし、店主はカウンターに置かれた新聞を取る。ざっと目を通してみるが、載っている記事はどれも大して興味を抱かせるものではなかった。既に何度も読み返しているものなので、それも当然といえば当然であったが。
「世は全てこともなし、ってかねぇ」
呟き、店主は新聞を無造作に投げた。再びちら、と目を外に向ける。明るく照らされた通りには、穏やかな空気が満ちていた。平和なのはいいことだが、たまには何か刺激が欲しいものだ、と自分勝手な思いを抱きながら頬杖をつく。
春の陽気が眠気を誘い、店主の瞼をゆっくりと下ろしていこうとする。気だるさが身体にまとわりついている。このまま眠ったら、どれほど気持ちがいいだろうか。
「ふぁぁ……」
もう一度、大あくび。なんとか意識を繋ぎとめ、こきこきと首を鳴らす。
その時、店内に古びた蝶番がきしむ音が響いた。店主が入り口へと目を向けると、ちょうどドアが開き、小さな人影が店の中に入ってくるのがちらりと見えた。
「いらっしゃい」
反射的に声をかけたが、その時には既に客の姿は商品棚に遮られ、店主からは見えなくなっていた。それほど高さがあるわけでもない棚に隠れてしまうあたり、ずいぶんと小柄な人物のようだ。おそらくは子どもだろう。
「はぁ〜、いろいろありますね〜」
店主の考えを裏打ちするように、高く可愛らしい声が響く。興味深げなその声は、幼い女の子のものだった。道具屋に小さな子どもが来ることは珍しいが、お使いか何かだろうか。
「何か探しものかい?」
珍しくはあったが、客は客だ。退屈を紛らわせるにはちょうどいいかと、店主は声をかける。それから椅子から腰を上げ、棚の向こう側へと回り込む。
店主の声に驚いたのか、相手はわずかに身体を震わせ、それから振り返った。
「おや……」
目にした客の姿に、我知らず店主は小さく声を上げる。
棚の向こう、両手に商品を持ったまま店主を見つめてくるのは、彼が想像した通りに小さな女の子だった。
見たところの歳は、十をいくつか過ぎたくらいだろう。腰まであるプラチナブロンドの長い髪に、くりくりとした大きなガーネットの瞳。しみ一つない白い肌は白磁を思わせ、生まれてこの方日焼けなどしたことのないように見える。整った顔立ちはとても愛らしく、成長すればとびきりの美人になることは間違いない。
だがそれよりも一際店主の目を引いたのは、少女の頭の上に見える、奇妙な物体だった。
一瞬、変わったアクセサリか何かだと思ったが、よく見ればそれは薄灰色の毛で覆われた丸い耳だと分かる。ちょうど鼠の耳のようなそれが二つ、髪をかき分けて飛び出し、頭の上にちょこんと乗っていた。
さらに手足も耳と同じ色の柔らかな毛で覆われ、スカートの裾からは薄桃色をした細長い尻尾が伸び、静かに揺れている。
そこで店主はああ、と納得する。この女の子は人間ではなく、魔物と呼ばれる存在なのだ。
かつての時代はともかく、現在はこの「人と異なる異種族」を街中で見かけることも、そう珍しいことではない。この店によくやってくる者の中にもサキュバスやゴブリン、獣人といった魔物の客は少なからずいるし、人間以外の存在にいまさら驚くようなことでもなかった。
それなのに店主が声を上げたのは、ひとえに少女から感じた意外さのためである。
目の前の少女が着ているのは簡素な白いワンピースだが、生地といい縫製といい、一目見ただけで上物と分かった。身に付けているネックレスや髪留めといった装飾も、派手さはないがその造りの見事さから、腕のいい職人の手によるものだろう。とてもではないが、町人の買えるようなものではない。
それに、見た目こそ幼い子どものようだが、この少女の立ち居振る舞いには不思議と品がある。子どもの客というのは大抵落ち着きなくやかましいものなのだが、彼女はそれに当てはまらなかった。
どこかのお嬢様、だろうか。
そんな考えを浮かべ、呆けたように少女を見つめる店主に、相手はわずかに不思議そうな表情浮かべた。だがそれも一瞬で、すぐに彼女はにこりと微笑む。
「こんにちは」
少女の顔に、花が咲いたような可憐な笑みが浮かぶ。男ならどきりとするような、とても魅力的な笑みだった。知らず頬が熱くなるのを感じ、店主は慌てて挨拶を返す。
「あ、ああ。こんにちは」
店主の声が上ずる。
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