『水辺の娘と深い藍』

『水辺の娘と深い藍』

 がさがさと音を立てながら、俺は足を進める。茂みは深く、びっしりと密生している草はまるで緑のカーテンのようだ。眼前は全て直立する細く長い葉に覆われ、わずか一歩先すら見えない。足下に注意を払いながら、一歩一歩、地面の感触を確かめつつ進む。
「よ……っと。……お」
 手を切らないように注意しつつ、青々とした草が絡み合うような茂みをかき分けると、ようやく目的の場所が姿を現す。
 そこは、深い青色の水が穏やかに流れる、幅の広い川だった。流れが作るわずかな波紋を浮かべた水面が陽光を反射し、星屑のように煌く。
「ふぅ……っ」
目の前に広がる光景にわずかな感動と、到達の達成感を得つつ、俺は息を吐き出す。
草の群生する土手を抜け、俺は川べりへと足を進めた。突如現れた人間に静寂を破られ、驚いた水鳥たちが水面から飛び立つ。その姿が空へと消えた後も、しばしの間、ざわめきが周囲に木霊していた。
「さて、と」
 俺は肩に掛けていた道具袋を地面に下ろし、辺りの景色を眺める。川はゆるやかに蛇行しながら、遠く先にまで続いている。俺が今立つ川べりには様々な草が生い茂り、緑色の絨毯を敷いていた。
一歩、川に近づく。と、俺の視線の端、深い青色をした水面の一点に、すうっと黒い影が浮かび上がった。
しばし川の中ほどに漂っていた影だったが、俺がそちらに意識を向けると、相手もこちらに気付いたらしくゆっくりと動き始めた。影は川岸に立つ俺の方に向かって、音もなく近づいてくる。
「……」
俺が無言でその動きを見守っている間に、川岸のすぐ側までやってきた影は一度動きを止める。そしてほとんど間をおかず、小さな水音と共に水面が盛り上がった。小さな水音と共にしぶきが上がり、空中に輝く。
俺の見つめる先、水面から姿を現したのは、幼さを感じさせる少女の顔。濃紺の髪はしっとりと濡れ、綺麗にそろった前髪からは水滴が滴り続けている。こんな所で泳いでいるということや、少女の可憐な容貌以上に、左頬に浮かぶ不思議な紋様と人間ならば耳に当たる部分から生える大きな青いひれが目を引く。その姿は、人間ではありえない。
半人半魚の少女――サハギン。
魔物と呼ばれる、この世界に存在する人ならざるもの。彼女はその中の種の一つだ。人の身体に魚とも水棲生物とも似た特徴を持つ異形の体は知らぬものなら恐怖を感じるのかもしれないが、この川に棲む彼女と俺の付き合いはもう結構な長さになるため、お互い今更驚きも怖がりもしない。
こちらの視線を受けながらたゆたう少女の黄金色の瞳が、川辺に立つ俺の顔を見つめる。
「よう」
片手を上げて挨拶するも、少女の顔はいつも通りの無表情。だが、ひれがわずかに動いたのをみると、こちらの声は聞こえているようだ。
この少女に限らず、サハギンという魔物は総じて感情を表に出すことが少なく、言葉を発すること自体も珍しいのだという。もっとも、俺に気付いて姿を見せたことからも分かるように、人間に対してまったく関心がないというわけではないようだが。
サハギンの少女は視線を外すことなく、じっとこちらの顔を注視している。それになんだか気恥ずかしくなった俺はわずかに苦笑を漏らし、頭をかいた。
「相変わらずだな。ま、元気そうで何より」
 俺の言葉にぱちぱちと瞬きをするサハギンの少女。その仕草がなんだかおかしくて、小さく笑った俺に、彼女は川面に浮かんだまま、小首を傾げるのだった。

・・・・・・・・・・・・

「さて」
 言葉と共に気持ちを切り替えると、俺は地面に置いた袋を開け、その中からいくつかの道具を取り出す。既に袋からその姿を露にしていた細長い棒――釣竿に、浮き。そして餌の入った小さな入れ物。
 興味を惹かれたのか、俺のすぐ近くの水面に浮かぶサハギンの少女がこちらに視線を向ける。彼女の視線を感じつつ、俺は作業を続けた。
 竿先から延びる糸に浮きと針を付け、餌入れから小さく白い芋虫のような生き物を一匹つまみ上げると、湾曲した針の先に刺す。糸を軽く引っ張り、外れないようにしっかりと結ばれていることを確認すると、俺は満足感に小さく頷いた。
 数分と経たず準備を済ました俺は、川面を眺める。俺の家がある村からそれほど離れてはいない場所だが、ほとんど人の手は入っておらず、訪れるような物好きも俺くらいだ。
まあ、何か用事でもない限り、あれやこれやと危険も多い村の外に出ること自体、多くの人間はすることもないのが普通なのだが。
「ふぅ……っ」
穏やかな風が横切り、暖かな空気が全身を包み込むここは、佇んでいるだけでも癒されていくような気がする。
 とはいえ、俺の目的は景色を楽しむことではない。ここに釣りにやってきた目的の半分は趣味だが、残りの半分は食材を得るためという実益を兼ねているのだ。一匹も釣れなければ、当然食
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