イーサンは目を覚ました。
冷たい空気が、息をするたびに肺に入り込んできて、ぼんやりした頭をはっきりとさせる。
ここは天国なのか、と思い身体を確かめる。
死んだような感覚はない。むしろいつもよりも元気なくらいだ。
身体を起こすと、隣にプラムがいないことに気付く。
二人を包んでいた橙色の壁は破られて、人が出られるくらいの穴があいている。
イーサンは無性にプラムに会いたくなった。いや、ここが天国ならむしろ会えないことを喜ぶべきなのではないか。
混濁した思考で身体を起こす。脱いだはずのシャツとズボンは無くなっていた。
地面に敷いていたコートを羽織って外に出ると、柔らかな日差しがイーサンの目をついた。
暖かかった。目の前に広がっているはずの雪景色はすっかり溶けきっていて、その下の草原が緑色の顔を表に出している。
どれほどの間寝ていたのか分からないが、どうやら天国ではないらしい。
イーサンのシャツとズボンは洞窟のそばの岩場に置かれていて、よく乾いていた。
プラムが干してくれたのだろうか、と考えながらイーサンはそれらを着て、上からコートを羽織ると、辺りを見回して彼女の姿を探した。
しかし、草原とまばらな岩場があるばかりで、何も見つけられない。
プラムがいない。それだけで胸が締め付けられるように苦しい。
イーサンがだんだんと必死になり始めた時、歌が聞こえてきた。
気楽なテンポの鼻歌が、崖の上から聞こえてくる。
プラムかもしれない。
イーサンがそう考えたときには、既に崖壁に手をかけて登り始めていた。
旅の間に何度か崖登りをしたことがある。それに崖壁はごつごつとしていて、掴まる場所に不足はなかった。
長い間何も食べていなかったはずなのに、不思議と身体は気力に満ちていて、軽々と崖を登っていける。
鼻歌に導かれるように崖を登りきると、広めの岩棚だった。
その端、草原を見下ろせる場所に蝶の羽を持った魔物がいた。
広々とした草原と、その先にそびえ立つ青々とした山々。
目下に広がる景色を楽しむように、鼻歌を歌っている。
もしかしたら、プラムの事を知っているかもしれない。
「ちょっといいか」
蝶の魔物は振り返った。その瞬間、あまりの美しさにイーサンは圧倒された。
輪郭の整った可愛らしい顔、細い2本の触覚が頭から垂れている。
豊満な胸の谷間を強調する黒い服は、魔物娘らしく露出の高いものだ。すらりと伸びた足は、しかしむっちりと肉付きのよい絶妙な曲線を描いていて、この上なく視線を引き付けられる。
肩まで伸びた金色の髪は、岩棚に吹く風でたおやかに揺れ、蝶のような羽は太陽の光を浴びて、教会のステンドグラスのように複雑な色彩を帯びて輝いている。
天使が存在するなら、ここは天国かもしれない。とイーサンは思った。
蝶のような魔物は、イーサンを見た瞬間にびっくりしたような顔をした。
目に涙を浮かべて、信じられないというような表情で彼を見ている。
どうやら、急に話しかけたせいで驚かせてしまったようだ。
「す、すまない。驚かせるつもりはなかったんだ」
イーサンが言うと、蝶の魔物は涙を拭ってにっこりと笑った。
それから、ふわりとした軽い足取りでイーサンに近づいてきた。
「良かった、起きたんだ。ずっと目を覚まさないから、心配してたの」
どうやら、イーサンとプラムがあの洞窟で吹雪をしのいでいたのを知っているようだ。
「俺と一緒だったグリーンワームを知らないか?」
「グリーンワーム?」
蝶の魔物は首を傾げた。
「俺の隣で寝ていたんだが、どこかに行ってしまったみたいで」
「えっと、私が分からない?」
蝶の魔物は、ずいと顔を近づけてくる。分からないかと聞かれても、今まで蝶の魔物に会ったことはない。
彼女の身体は花の蜜のようないい匂いを纏っていて、思わず顔をそむける。浮気なんてしたら、プラムになんて言われるか。
「ああ、どこかで会ったか?」
「ほんとに分からない?」
今度は怒った表情で、さらに顔を近づけてくる。顔をそむけようにも琥珀色の瞳から目を離せない。
「すまない。本当に分からないんだ」
「ふーん、俺を喰って生き延びてくれ、なんて言ってくれたのに。忘れちゃったんだ」
「え?」
なぜそれを知っているのか、それを知っているのはプラムしかいないのに。
まさか。イーサンは動揺しながら訪ねた。
「プラム……なのか?」
「やっと分かったんだ。がっかりだなー。ちょっと嫌いになったかも」
「ごめん。こんなに綺麗になってるとは思わなかった」
イーサンは弁明した。
実際、今までずっと一緒だった少女が、こんな美人になってるとは夢にも思わないだろう。
するとプラムは、イーサンに甘いキスを一つして、くすくすと笑った。
「冗談だよ。嫌いになるわけないじゃない。この体も、空を飛べる素敵な羽も、あなたがくれたも
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