憎しみと苦しみと、

寝室に着くと、私はご主人様を横に寝かせた。
「少々お待ち下さい。只今お茶をーー」
「良い。持ってこなくて大丈夫だ。……側に居てくれ」
「……承知いたしました」
二人の間に沈黙が訪れる。
ご主人様は腕で眼を被い、ゆっくりと呼吸する。
私は何をするでもなく、ただご主人様の側で腰を落ち着けていた。
そして時が流れること約十分。
沈黙を破ったのは外部からのノック音だった。
誰だろうか。
「はい」
「フェイムズです。妻の無礼を謝罪をしに参りました」
その声を聞いた瞬間、無意識に声色が変わる。
「ご主人様は現在お休みになられています。また後程ーー」
「妻は幼少に両親を亡くしました」
彼は私の言葉を遮り、そう言う。
私は一瞬戸惑った。ご主人様も眼を見開いて起き上がった。
私は、それでも先程の言動が許せず、冷たく良い放つ。
「……それが何だと言うのですか?」
「ダークエルフに殺されたのです」
「ーーーー」
だが、返ってきたものは私の言葉よりも冷えたものだった。
「彼女が生まれたのは、旧魔王時代。まだ魔物が、人を食い殺していた時代です。マリーは三十の頃、故郷であった森をダークエルフの一団に襲われ、彼女の一族は壊滅させられました」
フェイムズ様はあくまで淡々と、ご夫人の過去を語る。
エルフにとって、三十歳はまだまだ子供。人間で言えばまだ十歳くらいだ。
「まだ幼かった彼女は魔王の代替わりの日まで、ダークエルフの奴隷として働いていました。その生活は彼女にとってとても苦しい日々で、時には彼らの慰み物として体を強引に『使われて』いたのです」
「…………」
私の脳裏に、フェイムズ夫人の眼が過る。考えてみれば、あれは大切なものを奪われ、虐げられてきた者の眼だった。
「メイドの方」
「……はい」
「貴女は先刻、マリーの事を『非情で醜悪な化け物』と仰いましたね」
「いえ、あの、その……」
フェイムズ様の声に、私は萎縮した。声色は普通だ。ただ単に文言の問題だ。
「別に責めている訳ではありません。ただ、マリーにとって、その『非情で醜悪な化け物』とは、過去に自分を虐げてきたダークエルフの事なのです」
「……ぁ……」
「どうか許してくれとは言いません。あれは自業自得です。メイドの方の言い分は正しい」
弁護してくれるのはありがたいが、夫ならもう少し妻を庇うべきだろう。
「この件も本当ならマリーが貴方方に直接謝罪するべきです。しかし……」
「話せる状態じゃない。ですか」
そう答えたのはご主人様だった。
「ご主人様?」
「大丈夫だ。ここからは俺に話させてくれ」
ご主人様は微笑み、私の頭を撫でる。
「……そうです。彼女はメイドの方の言葉で、自分を虐げてきたダークエルフの事を思い出したのでしょう。彼女は先程の自分をダークエルフと重ねてしまい、情緒不安定な状態です」
「ーーーー!」
私は絶句した。まさか、私の言葉が逆に夫人を傷付けてしまうとは思わなかったのだ。
憤ったとは言え、心苦しい。
「私がマリーの過去をお話ししたのは、あくまで彼女には貴方に憤る理由があったと言う事を留めて頂きたいからです。ですが、だからといって先程言いました様に、許して欲しい訳ではありません。許されなくて当然です」
フェイムズ様は「失礼します」と部屋に入る。
「彼女には私が言っておきます。ですので私は、彼女を止められなかった事を謝罪します」
フェイムズ様はご主人様にひざまづく。
だが、

「構いません」

「え……?」
「謝罪は結構です。私は怒ってなどいませんから。それに、うちのメイドも無礼を働いてしまいました。こちらこそ謝罪すべきです」
「いえ、そんな!?」
「良いんです」
ご主人様は優しい声音で、フェイムズ様を制止する。
「正直に言えば、ダークエルフと糾弾され、白い目で視られるのは慣れています。それより、ご夫人は?」
ご主人様は、本当は嫌な筈の事を苦笑し、この場に居ない夫人の動向を聴く。
フェイムズ様は納得のいかない顔をするが、質問に答える。
「……折角のパーティーです。周りにご迷惑を掛けない様、勝手ですが客室を使わせて頂きました」
「構いません。ここは空き部屋ばかりですから」
「ありがとうございます。今は安静の為寝かせておりますが、すぐにここを発つつもりです」
「もうですか?」
「これだけご迷惑をお掛けしたのです。これ以上居座るのは良くない。妻を連れて国に帰りますよ」
「そうですか。それは残念です」
ご主人様は変わらず微笑み続ける。
フェイムズ様は立ち上がった。
「非礼続きで申し訳ございませんが、私はこれで失礼します。今度、お詫びに最高級のサテュロスワインと、それに合うつまみをお送りします」
「ありがとうございます」
フェイムズ様は踵を返し、退室する。
だがご主人様は思い出した様に引き留めた。
「フェイ
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