幕間:本屋と宿と夜

下町の迷路のような路地を抜けた先に本屋がある。
私は現在、そこの新刊コーナーで漫画を手に取っている。
「これは、新連載ですか……。絵が綺麗なんですよね」
新刊を手に取っていく中で、私はこの漫画を買うか買わざるか迷っている。
しかし、この繊細なタッチと色使いには魅かれざるを得ない。
「……買いますか」
これがいわゆる《ジャケ買い》である。
私は店内を見渡し、ウェスカーの姿を見つけた。
「ウェスカー。買いたい本は決まりましたか?」
「うむ」
彼の手には雑学本が一冊。それも心理学となかなか複雑そうだ。
私はいかにもウェスカーらしい選択で小さく笑いを漏らした。
「勉強熱心ですね」
「知識は幾らあっても損はないからな」
ウェスカーは趣味が勉強と言えるほど勉強熱心な青年だ。訓練の合間も何等かの知識本を読み漁っている。
少しは娯楽にも興味を持って欲しいものだが。
「たまには小説や漫画もどうです?」
「……」
彼は声を出さず小さく頷く。
この返事は微妙な所だ。

私が彼と出会って早数年。
ウェスカーと行動を共にしていると微々たる仕草でも何となく意味が分かってしまう。
例えば先日のカイル達との試合でも、彼は一見無表情に見えてその実高揚していたのを知っている。
「たまには良い物ですよ。娯楽本も」
「考えておこう」
ん、少しは興味が出たのでしょうか?
そろそろ会計を済ませよう。
「では、買いましょう」
ウェスカーは静かに頷いた。


その後、大通りのベンチで私たちは読書をしていた。
「今回は当たりでしたね」
新連載の漫画を読み終え、そう呟く。

ジャンル分けとしてはSF漫画とてもいうのだろうか。魔法とはまた違った力でエネルギーで発展した世界での戦争を描いた物語だ。だが、ただ単純な戦争物ではなく、一般人の主人公がひたすら逃げている所はややパニック物に近い。
その戦争の裏で進む交渉や戦争の真実が上手く明かされていく辺り身の詰まった濃い話になるのではなかろうか。今後要チェックだ。

手元の本全てを読み終えた私は横に座るウェスカーを見やる。因みにもう日が傾き始めている。
たった一冊とは言え、彼はまだ読み終えていないようだ。
何か面白い事でも書いてあったのだろうか。ウェスカーは小さく呟いた。
「人の思考は複雑だな……」
――そう言えば彼が買った本は心理学書だった。
「どうですか、その本は?」
「『罪悪は無い、功徳も無い』か……」
ウェスカーはぼそぼそと口を動かす。こちらの問いかけに答えている気配はない。

……あ。

「――読書中は声を掛けても無駄でした」
ウェスカーは読書に夢中になると他の事に気が向かなくなる。こうなると読み終えない限り話は出来ない。
私は彼に寄り添い頭を肩に乗せ、本を覗き見る。それでもウェスカーは気にも留めない。
彼が読んでいる本は思想観念に基づく人の心理が綴られていた。
それも様々な宗教関連の思想が綴られている本だ。
ページ端の項目には教団の思想や、地方の民族宗教の思想。中には魔界のサバトの思想と言う項目まである!
この本の出版社はこの本を出して大丈夫なのだろうか?
ウェスカーはその中で《宗教外思想》と記されたページを開いていた。残りのページの厚さから、最後の辺りだ。
彼が読んでいるのは……、どうやらページの最後の欄らしい。
「《善悪否定論》……?」
提唱者は名称不明。ただし、一説によると一人の暗殺者が地方の里で説いたとされる思想らしい。信仰され始めたのは今からまだ百年ほど前だ。信仰しているのは主に暗殺ギルド等。殺人者が信仰している辺り真面な思想ではない様だ。
内容は名の通りどんな非道な行いをしても悪ではなく、またどんな施し、祭式、節制を行っても善ではない。したがって善悪のいずれも業による報いは無い。
著者の考察では、「この思想はあらゆる物事を「平等」にみる事によって、行為に附随する罪福とその結果生まれる苦しみから心を解き放とうとする教えであろう」と記されている。
「何でしょうか、凄くもやもやします」
主神の遣いである戦乙女には到底理解できない思想だが、こう解りやすい解説があると余程の馬鹿で無い限り理解できてしまう。
そしてこの胸のもやもやは主神を真っ向から否定されていると言う怒りと、この思想で不幸から救われる者も居ると言う歯痒さによるものだった。
「異端思想も恐ろしいものです」
「全くだな」
知らず吐いた嘆息にウェスカーが答える。思わず驚いてしまう。
「――読み終わったのですか?」
「ああ。このページで内容は終了している。あとは別冊の知識本の広告ばかりだ」
「そうですか。感想はどうです?」
「なかなか興味深いものが多かったな」
無表情のままだが、声は弾んでいた。
私は気になった事を聞いてみる。
「……何故その本を?」
恐る恐るの問いに
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