母さんとナポリタン

安藤家の厨房で、今まさにナポリタンが出来上がろうとしています。
厨房につながるリビングにはブイヨンやトマトを炒めた香しい匂い、パスタを茹でる熱気が伝わり、さすがにはしたなく腹の音を鳴らすようなことはしていませんが、それでも抑えがたい空腹を抱える身としてはとてもつらい状況になっています。お腹が、空きました。

「お皿はここで大丈夫?」
料理が出来上がるのをただ座って待っている怠惰で自堕落な姉とは違い、妹の美緒は元気よく手伝いに精を出しています。
「ありがとう。そこで大丈夫だよ。」
「他に手伝うことある?」
「じゃあ、調味料を置いている所にこの間買ったばかりの粉チーズがあるはずだから、それをとって来てもらえるかな。」
「分かった。じゃあいってきます、お父さん!」
ただ、美緒が満面の笑みを浮かべ嬉しそうに手伝っているのは母である恭子ではなく、黒いエプロンをした父の安藤祐介なのです。

我が安藤家では休日に、時々父さんが料理をすることがあります。
どうも父さんは料理することが昔から好きで、私が生まれる前から普段母さんがあまり作らないパスタや粉物、カレー、カレーうどんなどを嬉々として作っているらしく、父さん専用の鍋やフライパンがあるほどの力の入れようです。

「ふふふ、美緒ったらはりきっちゃって。」
普段キッチンの主である母さんは、私の隣に座って料理に勤しむ夫と娘を楽しそうに眺めています。その横顔は魔物娘としての美しさだけではなく、母親としての慈愛に満ち、同性であり娘の私から見てもとても素敵な表情を浮かべています。

だからこそそんな母さんに質問をぶつけてみることにしました。

「ねえ、母さん。」
「なにかしら、咲。」
「父さんが料理をするのって母さん的にはどうなの?」
「ん。どういうことかしら。」
「友達に父さんが料理を作るって話をしたら随分驚かれちゃったものだから…」

少し前、学校での出来事でした。
調理実習のお題がパスタで、父さんが言っていたコツを思い出しながら作っていると、同じ班の、幼馴染である稲荷の友人がその調理方法は母親から教わったのかと質問してきたので、母ではなく父に教わったのだと答えたところ、咲ちゃんのお父様は厨房に立たれるのですかと心底驚かれたのです。

頻繁ではないとはいえそれが当たり前で育った身としては、そんな反応をされるとは思わなかったので逆に何故そんなに驚くのか聞いてみたところ、彼女は少しだけ頬を染めて囁きました。「だってもし私なら、旦那様になる方の面倒は衣食住全部見たいって思いますもの…咲ちゃんのお母様は違うのかしら。」と。

「そう言われてみれば…普段、父さんを献身的に愛している母さんって父さんの料理についてどう思っているのかなって。」
「なるほど、ねえ。」
母さんは一つ頷くと口を開きました。
「確かにお母さんもお父さんと結婚した当初はそのお友達のように考えていたし、最初に料理がしたいってお父さんに言われた時は…ショックだったわ。少しだけ…ほんの少しだけれど嫌だなって思ったわよ。だってねえ、食べたいものは言ってくれればなんだって作るし、そうしないならそれって普段作っている私の料理になにか不満や不足があったからそういうことを言い始めたんじゃないかって暗い気持ちになったもの。でも…」
「でも?」
「お父さんはね、そうじゃなくて単純に料理がしたいんだ、そして恭子に俺が作った料理を食べてほしいんだよって…私の目をまっすぐに見て言ったの。」
「へぇ。」
「まあ浮気したいなんて絶対に許可できないことではないし…お父さんがしたいことを遮ってまで全ての面倒を見るっていうのも、ある意味お母さんの傲慢でしかないのかなってその時考えたわ。そして気が付いたの。」
そう言って母さんは優しく微笑み、言葉を続けました。

「どちらかが上に立つのではなく、一緒に並んで人生を歩んでいくのが夫婦ですものね。」

その言葉を聞いて、私は先ほどまでの母さんの表情に納得しました。
あの、優しく夫と娘の立ち振る舞いを見つめる横顔が答えだったのです。
「それにね…」
そんな母さんへの尊敬の念を深めていると、その本人がほんのりと頬を染めながら顔を私の耳元に寄せて囁きました。
「やっぱりエプロン姿の素敵なお父さんを見たいじゃない。」
「へ?」
「腕まくりをしてフライパンをふるう二の腕、エプロン越しに浮かび上がる胸板、エプロンの紐を結ぶことで強調される肋骨から腰にかけてのラインとくびれ…堪らないわぁ。だってあの姿は料理をしている間でしか見ることができないものね。そんな官能的ともいえる姿なのにああやって無防備に、真剣な表情で料理を…私や娘たちのために作るあの様子は何度見ても飽きることはないわ!」
「………。」
母さんは顔をデレデレに緩めて熱弁をふるい、艶めか
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