「はあ、はあ…。なんで…こんなことに。」
藤島洋輔は、山道を一心不乱に走っていた。
普段の運動不足が仇となってすぐに足はもたつき、体は新鮮な空気と休息を求めて悲鳴をあげる。しかも走っている山道は落ち葉や腐葉土が積りその陰に小石が散乱していて、平坦でアスファルトによって舗装された道に慣れきった現代人にとっては非常に走りにくい。既に三回はこけているし、数えきれないほど躓いてしまっている。
しかし、洋輔は決して足を止めようとはしなかった。
なぜなら…
「待てと、言ってんだろうが!!!」
後ろから魔物娘、ウシオニが追ってきているからだ。
ジパングでもその存在を怪物として恐れられる魔物娘は、邪魔な木々や岩をその大きな蜘蛛の足で蹴散らしつつ、洋輔のもとへ猛然と迫りながら吠える。周りに生える木々の葉がびりびりと震えるほど大きな声が後ろから響き、洋輔は思わず首をすぼませてしまう。その声を聴いていると疲れだけではなく恐怖も重なって足が震えてしまった。それでもなんとか足に力を入れ、前に足を踏み出すしかなかった。
そもそもこの逃走劇が始まったのは少し前のこと。
洋輔はこの山に流れる清流で渓流釣りをしていた。
渓流釣りが趣味の祖父と共に幼いころからかなりの頻度で釣りに行っていたせいか、渓流釣りは洋輔の数少ない趣味となっている。今日は天気に恵まれたこともあり登山口に設けられた山小屋で入山と釣りの許可を得て、朝早くから山に入り上流から徐々に下りつつポイントを変えながら糸を垂らしていた。水は清らかで冷たく透明度は抜群、自然は圧倒的に雄大で美しい。普段接することのない手つかずの森林で行う釣りは、本当に心が躍る。気分とは裏腹に釣果は芳しいとは言えなかったが、ボウズとは言えないほどにぼちぼち釣れてはいる。あと半時もすればお昼になるので、もう少しだけこのあたりの、山の中腹部に流れる少しひらけた沢で粘ろうかと、流れが速く白波がたっている沢の中心に投げ入れた釣糸の先を眺めながら考えていた時のことだった。
前方から水場に群生する葦などを踏み分ける音がするので顔を上げると、沢の対岸に裸の女性が一人立っていた。
恥じることなく堂々と裸体を晒す女性は、息をのむほど美しい。
顔は思わず何故このような場所に一人で、しかも裸でいるのだろうかと疑問に思うことや驚くことさえ忘れて見とれてしまうほど端正で、こちらをまっすぐに見つめる目は輝くような金色、胸はちょっとした小山のように大きく、しかしながら重力に従って垂れることもなくお椀のような美しい曲線を保ち、彼女が少し体を傾けるたびにゆさゆさと揺れて洋輔の視線を釘付けにする。だが胸以外に余分な肉は一切なく、腰はきゅっとくびれ体躯は引き締まっている。それでも決して武骨という印象をいだかせることはなく、女性独特の丸さや線の細さと程よくついている筋肉とのバランスがなんとも絶妙だ。
ワイルドさと女性のつつましさを兼ね備えた、魔物娘と人間が共存するこのジパングでもなかなかお目にかかることのない絶世の佳人。
そう、そこだけを見れば艶めかしくグラマラスな女性なのだが…。
彼女は美貌以上に人外であることを洋輔に知覚させた。
木々の間から洩れる太陽の光を鈍く反射させるきめの細かい彼女の肌は、青銅を思わせる人ならざる色に染まり、ところどころに入れ墨のような文様が浮かんでいる。さらに美しい黒髪をたくわえる頭の側頭部からはねじれながら天に向かって伸びる二つの角が生え、耳は馬やヤギを想起させる可愛らしい獣の耳をしている。そしてほっそりとした二の腕からのびる手の先は大きく肥大して鋭い爪が並び、黒々とした体毛が生え揃う様は耳とは対照的に獰猛な猛獣を思わせる。
だがなにより彼女を人外たらしめているのは、その下半身。
美しい人間の上半身からのびるはずの足や臀部はなく、異形としかいえない八本の、蜘蛛に似た足が並んでいた。針金のような黒い毛に覆われた足の一つ一つは太く、足先は直感的に危険を感じずにはいられないほど鋭利にとがっており、ぬかるむ川縁の土に突き刺さっている。臀部があるはずの部分にはそれらの足に守られるようにして腹部とよばれる大きなふくらみがあり、彼女の心音に合わせているのか一定のリズムで小刻みに揺れていた。
そんな彼女の全体像を見た瞬間、何者であるかを理解した洋輔は身を震わせた。
彼女は間違いなく、ウシオニと呼ばれる魔物娘に違いない。
ウシオニはこの桁外れに魔物娘と友好関係にあるジパングにおいても恐れられる数少ない種族。なぜ恐れられているのかといえば、献身的で温厚な魔物娘が多いこの土地には珍しく直情的で好戦的な性格、そして群を抜く好色さで白羽の矢をたてた男を、暴力をふるってでも無理矢理強奪するようなところからきているらしい。勿論全てのウシ
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