ジパングの北方で古くから港町として栄えた街がある。
その街は夜景がきれいだとかガラスやオルゴールの工房があるとかで観光も人気がある街であったりする。よく言えばレトロ、悪く言えば古臭い街だ。
そんな街の夜景を楽しむため自治体が運営している遊覧船に、多くの観光客が乗っている。
人々がカメラ片手に夜景を楽しむ中、帽子を目深にかぶりサングラスをかけた男が一人いた。彼は人々が集まる船首から少し離れた後方でやや憂鬱そうに佇み、船が発する光を反射する海面をじっと見つめている。それは見る人によっては今にも海に身を投げてしまうのではと勘違いしてしまうかもしれない。
男の名前は、松本肇という。
以前の彼は比較的活発で、周りからも好青年という評価を受けていた。そんな彼から以前の様な活気や勢いを奪ったのは、半年前に起こった火事だった。在籍するゼミのメンバーと学会に出席するために利用したホテルで火事が起きたのだ。肇はその火事で顔や背中などに重度の火傷を負ってしまい、回復に時間と忍耐を要した。
しかし、ただそれだけが彼を変えてしまったのではない。
問題はその後だった。適切な治療によって傷は全治したのだが、彼の背中や顔など広範囲に広がった浅黒い火傷の跡を消す事が出来なかった。そしてその傷跡に向けられた事情を知らない人々の好奇の目は彼の心に幾重にもダメージをあたえた。最初は彼も気にしないように努めたのだが、見知らぬ人の視線や小さく囁く声、小さい子供たちに指を差されるという行為は非常に彼を憂鬱にさせた。次第にそれを回避するために彼は必要最低限にしか外出しなくなり、友人たちとの交友もほとんどなくなっていった。
そんな彼をこのジパングの北方まで連れてきたのはその友人たちだった。
「どこか旅行にでも行って思いっきり遊んで、憂さを晴らそう!!」魔物娘たちが跋扈するこのジパングで今まで浮いた話の一つさえない青春を過ごした、ある種独特の仲間意識が強い友人たちはいつでも彼の心配をしてくれていた。彼は最初、その話を聞いた時には断ろうと思っていたが、同時に友人たちの思いやりを無下にするのも申し訳ないと思った。それに自分の事を全く知らない場所に行くのも、気持ちの整理をつけるのにいいかもしれないと考え旅行へ行くことを決めたのだった。
この話はそんな彼がある魔物娘と出会い、愛を育んでいく物語。
最初に感じたのは下から突き上げるような強烈な衝撃だった。
楽しそうに夜景を眺めている友人たちから少し離れた場所で、海面に視線を落としていると船は大きく揺れて傾き、船尾のほうからゆっくりと沈んでいくのが分かった。これが事故なのかどうかは勿論何一つ分からないが、冬の海上で舟が沈没してしまうかもしれないという危機的状況にあることだけは分かった。しかし人間というのは案外のんびりしている生き物なのか、傾く船体の手すりになんとかしがみついていた肇の頭には一昔前に社会現象の様に流行した洋画が頭の中に浮んでいた。だがこの船は豪華船ではないし、隣にローズが居るわけでもない。それにあの船は真っ二つに折れていたしなあとそこまで考えていた馬鹿な妄想を直ぐに捨て去り、肇が友人たちの無事を確認しようとしたその瞬間―――
「な、んだ…これ。イカの足?」
彼の前に突然、二本の触腕が現れた。
先がぷっくりと膨らみ、先端に行くほど青が濃くなっているそれには沢山の吸盤が付いている。海から差し出されたそれはまさにイカの…しかし、今までに見た事が無いほど大きな足だった。
「ってうわっ…何を!?」
それは驚きのあまり固まる肇に容赦なく襲いかかった。
片方はベルトの様に肇の腰にがっちりと絡みつき、もう片方はまるでたすきがけでもするかのようにするすると上半身にその身を絡ませた。二本の足は獲物を捕まえたことを確かめるように力をぐっと入れて締め付け、数え切れない多くの吸盤を吸いつかせる。沢山の吸盤が張りつく感覚や、逃げられないと直感的に分かる力で締め付けてくる触腕に恐怖が沸き上がった。
「誰か…たすけ、ぐぅ、ぁあ!!?」
舟が沈没するかもしれないという緊急時、誰もが自分自身の事で手一杯であるこの状況で馬鹿な事だと分かっていても、助けを求める言葉を口にすることをやめることができなかった。だが、非情にもそれをあざ笑うかのように二本の足は力を込めて海中へと肇の体を引っ張り始めた。ただでさえよくわからないこの状況で、さらに海中に引き込まれるという恐怖になんとか抵抗しようと船体にしがみつくが、その有無を言わせない強力な力の前に肇の抵抗は一瞬で打ち破られる。まさに風の前の塵、風前の灯火というやつだ。こうして成人男性の平均体重ほどある肇の体は楽々と海中へと引き摺りこまれた。
海中へ今まで体験した事が無いほどの力で引き込ま
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