『魔物は人肉を貪り喰う、危険な存在だ。』
古来より魔物を良き隣人として共に生きてきたジパングの住人に、このような戯言を投げかけてみたとしていったい何人の人間が信じるだろうか。おそらく、いや十中八九の人間が一笑に付すか発言者の正気を疑うだろう。それだけでは収まらず愛すべき彼女達に向かってなにを馬鹿な事をいうのだと発言者に対して憤慨する者が続出するかもしれない。
親魔物領の中でも飛びぬけて魔物娘という存在が文化、土地、民族に深く根差している国―――それこそがジパング。
「今日も、平和だねえ…」
そんな極東の島国に住むマンティコアの栗原麗(くりはら れい)はぼそっと独り言をつぶやいた。
梅雨の合間に覗く夏の日差しが照りつける中、目の前を悠々と流れる河はそれまでと変わらず穏やかで澄み、それを眺めながら日課であろう散歩をする老人たち、河原に作られただだっ広いスペースでキャッチボールをする親子、一人熱心にゴルフのスイングを練習するオッサン、刺激を求めて朝から露出性交に勤しむバカップルが数組などメンバーや人の多さは違えど、いつものような日常が繰り広げられている。そんな風景の中、麗は川縁に作られた屋根つきのベンチに一人どっかりと座りこみ、紫煙をくゆらせながら長編歴史小説に読み更けていた。読んでいる小説は中世のジパングに実在した武将の物語で、彼の忠義や武運がやや固い文章で書かれている。ここ数日この時間帯はこうして静かな川縁で無心にページをめくってすごしているが、それがなんとも言えず心地がいい。日ごろの煩わしい出来事を忘れる事が出来る。
できうることならば、この居心地のいい場所で自分の好きな事をしていたい…半ば本気でそんな事を考えてしまう。
ピピッ…ピピッ…ピピピ…
だが長閑な雰囲気を粉砕するかのように、携帯電話の着信音が喧しくなり始めた。
「…あいつか、全く懲りないもんだね。」
ディスプレイに目をやると予想通り、アカネという三文字のカタカナが表示されている。
無視するという手もあるがそれだと後々さらにうるさくなりそうなので、麗は咥えていた煙草を携帯灰皿に放り込み一つ大きなため息を吐いた後、しぶしぶ通話ボタンを押した。すると、これまたこちらの想像通りのどなり声が聞こえてくる。
「今、どこで、何をしているの!?」
「…何の用だよ、茜。」
怒りでやや上ずった声が、キャンキャンと通話口から鳴り響く。
「今何時だと思っているのよ。早く、学校に、来なさい!!」
「うるせえなあ…。午前中の授業は出なくたって単位は十分足りるんだから、アタシがどこでなにしようがいいだろ?」
「そういう問題じゃないって何度言ったらわかるの。いいからさっさと来なさい!!学生の、高校生としての本分をちゃんと果たしなさい!!!」
携帯を耳から話してもびりびりと聞こえてくる怒声が河原に響き渡る。
そう、麗はこの地区でも有数のマンモス校に通う高校生。
多くの同級生たちが授業を受けているこの時間に、こうして河原で煙草を嗜み本に夢中になっていることからして真面目な学生だとは口が裂けても言えない為体ではあるが、華の女子高生である事には違いない。
「そんなにがなるなよ。学校にお前のどなり声が響いちゃ周りの連中がかなわんだろうさ。」
「だ、誰がそうさせていると思っているの!?麗ちゃんがちゃんと登校していないからこうしてしたくもないのに大きな声をだしているんじゃない!!」
「へいへい、アタシはあと一時間ほど自習してからそっちに行くからさ。安心しなさんな、委員長さん?」
「はあ?なにいって…」
「今、小説がいいとこなんだよ。じゃあ、またあとでな。」
「ちょ、待ちなさ…」
無理矢理会話を終了させて通話を切り、携帯電話の電源を落とす。
すると再び水の流れる僅かな音や風の通る音、上空で鳴く鳥の声だけがその場に残された。これだけ平和な空間にいるとついこのまま堕落してしまいたくなってしまうのも正直なところだ。しかし政治家として権勢をふるい、麗が通う高校の理事も務めている怖い怖い母親からも「あなたの普段の態度には深く追求はしません。でも学業に支障をきたさない範囲で、というのが前提よ。できなかったら分かっているわよね?」ととっても黒い笑顔で通告されているだけに、数十分後には学校に行かなければならないだろう。
「ふぅ…そろそろ支度しますかね。」
麗は新しい煙草に火をつけて一つ息を吸い、煙と共に愚痴にも似た呟きを吐きだす。
そして緩慢な動きで引き寄せた鞄から制服を引っ張り出し、高校生へと変貌する準備を開始したのだった。
「お〜す。おはようさんっと。」
二年一組、麗が籍を置く教室に入るとクラスメイトの冷やかな視線が集中する。
麗はこの私立高校の普通科、その中でも成績上位者が集められるクラスに名を連
[3]
次へ
[7]
TOP [9]
目次[0]
投票 [*]
感想[#]
メール登録