床に上等な絨毯が敷かれ、壁や柱に趣のある調度品が施された廊下に一人の男が立っている。
このホテルのボーイの恰好をしているその男は、一つの部屋の前でじっと聞き耳をたてているようだ。アンティークな照明によって照らされている所為かやや暗い廊下に佇む彼の表情は窺えない。
そんな彼の元に一人の女性の影が迫っていた。
しかし、どうやら彼は熱心に室内の様子を探っているらしく、彼女の気配には全く気が付いていないようだ。美しく上品な紫のドレスを着た彼女はその様子を楽しそうに見つめながら足音を消して歩き、彼の背後でピタッと立ち止った。
「もし、よろしいですか。」
「…!」
あくまでにこやかに女性はボーイに声をかける。
背後から突然声をかけられたボーイは大きく目を見開きながらゆっくりと彼女の方へ振り向く。どうやらこの現状は彼にとって予想していなかった事態の様だ。端正な顔にははっきりと驚愕と警戒の色が滲み出る。だが、彼はプロフェッショナルらしくその驚きの色を一瞬で消し、彼女の質問に機械的に応える。
「はい。私に何か御用でしょうか、お客様。」
「そうですね、私とおしゃべりをしていただけませんか?悪趣味な覗き行為などおやめになって。」
無邪気に言い放たれた覗きという言葉にやや憮然としながら男が口を開く。
「覗きなど、行っておりません。実は少し前にこの部屋から大きな音がしたと、滞在されているお客様より連絡をいただきまして。私がお部屋に声をかけても返事がありませんので、こうやって様子を確認していたのです。」
「確認、ですか?」
「はい。確認です。」
ボーイの答えを聞いた女は意地悪そうに眼を細めながら次の一手を放つ。
「このホテルではわざわざ注視しなければ破られない非可視の呪文を御自身にかけて確認を行わなければならないのですか?」
「…。」
「そして二時間以上、おっと正確に申し上げますと二時間十八分ですわね。その間じっとこの部屋の様子を確認していらしたのですか?ああ、それと実は私もずっとこの階にいましたの。ですが先ほどおっしゃったような“大きな音”というのもあなたがおっしゃったという“確認の声”も残念ながら聞こえませんでしたわ。私の耳がおかしい、のでしょうか。」
女はわざとらしく両手を上げ、頭を振りながらとぼける。その表情からは自分の言動になんの疑問を抱いていないという自信が隠さず表れている。
「……。」
「はっきり申し上げましょう。御自身が仕掛けをされた悪戯の顛末がお気になるのも分かりますが、覗きは少し無粋な気がしますわ。私、心よりご注進申し上げます。」
「…。」
「…。」
「……。」
「……。」
「………。」
「………。」
ボーイは指先一つ動かさず真っ直ぐに女性を見据え、女は挑発的ともいえる笑みを浮かべ睨み返す。
暫くの間、沈黙が二人の間を流れていく。
だが、二人の間に流れる空間に不思議とぎすぎすとした居心地の悪さや緊張感は無い。むしろ、まるで二人がこのやりとりを楽しんでいるかのような余裕のようなものが流れている。
「ハア…ばれちゃった、か。」
そんな沈黙の中、最初に口を開いたのはボーイだった。
わざとらしく大きなため息をつきながらやれやれと頭をふる。その態度や口調からは今までの機械的な冷たさが一切消え去り、非常に親しげなものへと変わっていた。女性もボーイの突然の変化になんの疑問を抱いていないらしく、先ほどと全く変わらない態度でボーイの言葉を聞いている。
「非可視の呪文が甘かった、かしらね?」
「いいえ、完璧でしたわ。並の者では絶対に見破れないどころか貴方の存在にすら気がつかなかったでしょう。」
女性はやや誇らしげに胸をはる。並の者という言葉を強調したのもその表れだろう。
「でもあなたにばれちゃった。」
「私、鼻が効くのです。例えお姿を消されていても大好きで尊敬しているお方がそこにいらっしゃるのを見過ごすわけがありませんわ。それにこの悪戯を仕掛けた一人である私なら、計画ではこの場にいない事になっている首謀者である貴方がここにいらっしゃるという可能性は予測できる範囲の事でしたから。」
「確かにそうね…私の考えが甘かったわ〜。それなら最初からあなたと一緒に見物していればよかったかしら?」
「…それにしても貴方は酷いお方ですわ。私にこのような事をさせ、お姉さまのお祝いの席でこのようなことを計画なさるなんて。」
男は小首を傾げおどけて女に質問するが、女はそれを無視して強引に話題を変えた。
「あら、どうして?あなたのお姉さんは喜んで手伝ってくれたわよ?」
「お姉さまは場所や機会をあなたに提供されただけです。私のように汚れ仕事をされていません。」
「ふふ、汚れ仕事なんてそんな大げさな。」
ボーイは楽しそうにくつくつと喉の奥で笑い声をあげる。
「あんなことをし
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