「関悠二様、私と結婚していただきたいのです。」
目の前の女性は自分の言葉に反応を示さない悠二を見て、聞こえていないと思ったのか先ほどと同じ事を口にする。
見ず知らずの女性にそんな事を言われた経験を持つ男性はどれくらいいるだろうと悠二は現実逃避をしながら考えていた。先ほどから自分の理解能力を超えた出来事に上手く対処できない。
「貴方様に生涯をかけてお仕えしたいとずっと私は思っておりました。そしてその願いが叶えられる時が遂に来たのです。」
悠二が混乱している様子を気にしない…というか気づいていないのか、彼女は興奮気味にそう言って頬を染めながら彼に近づいた。そして音もなく悠二の側に立ち、そっと彼の腕に自分の腕を絡ませる。
「ちょ、ちょっといきなり何をするんですか!?」
「ふふ、一刻も早く貴方様と直にお会いしとうございました…。」
悠二の混乱をよそに、彼女は絡める腕の力を強める。そうなれば自然と彼の腕に先ほどまでは彼女の美しさに気を取られていて気付かなかったが、大きくそして柔らかい胸が押し付けられる。その感触、伝わってくる熱やほのかに香る甘い匂いはどれも今まで彼が経験した事のないものだった。先ほどまで混乱していたのに、今では全神経が彼女と接している部分に集中しているような錯覚すらうける。
不純ではあるが、思考が集中したことにより幾らか心が落ち着いたところで、ふと今までの彼女の言動を思い出し違和感を覚える。目の前にいるこの女性とは初対面のはずなのに、彼女は悠二の事を知っているような口ぶりを先ほどからしている。これだけの美女を一度でも目にすれば忘れるはずはないと思うが…。それでも彼女に関する記憶は自分の中にない。
「本当に逞しくなられて…あの頃のあどけなさにも心躍りましたが、やはり殿方に身を預けるのが私の一番の望みです。」
猶も体を擦り付ける彼女を見て再び思考が停止する。
「ああ、でも幼い口調で甘えられるのも捨てがたい…」
何やら妄想に耽っている彼女の頭から今までなかった獣の耳が、そして腰のあたりからは尻尾が生えていた。しかも耳は小刻みに動き、尻尾は嬉しさをあらわすように激しく揺れている。それらはどう見ても彼女の体の一部で、決して作り物ではないと主張するように動いている。
「み、耳と…し、尻尾が!?」
「あら、夢中になりすぎて変化の術が解けてしまいました。折角驚かせて差し上げようと思っていましたのに。」
変化が解けたのがそんなに残念だったのか、耳は力なく垂れ、尻尾も項垂れるように動かなくなった。それらを見つつ彼女に質問する。
「あの、すみません。本当に貴方は一体誰なんですか。そしてせめて御名前を教えていただけないでしょうか?」
彼の言葉を受け、彼女は何かに気がついたように眼を見開き、彼の腕から離れる。
「これは私とした事が、嬉しさのあまり舞い上がってしまいました。まだ名前すら名乗っていませんでしたわね。」
緩んでいた表情を引き締め、彼女は美しい所作で悠二に頭を下げる。
「わたくし、名を静華と申します。あの時といい今といい自分の名前すらお伝えせずに申し訳ありませんでした。ご無礼をお許しください。」
そう言って静華はさらに深く頭を下げる。しかし、彼女の言うあの時が何時なのかも、そしてそこまで礼を尽くされる理由も分からず、悠二は慌てて彼女に声をかける。
「そんなにかしこまらないで頭をあげてください、静華さん。それにあなたは…。」
「はい。既にこの姿を見られてしまいましたので、私の正体について隠さずに申し上げます。私は稲荷という種族の…貴方が好きな魔物の一種です。」
頭を上げた彼女は好きという言葉を強調して言い、真っ直ぐに悠二の眼を見て微笑んだ。
魔物。
妖怪。
その言葉は悠二の中で確かに少し特別な意味を持っていた。
成長する中、知識や人とのコミュニケーションを身につけて行く上で彼は魔物や妖怪が好きである事を口にする事はあまりなくなった。それは無闇に自分からその事を口にして孤立するほど彼は強くなかったから。だから自分の気持ちを表面上から消し去り、自分の内面だけに熱い思いを封じ込めてきたのだった。
しかし、それでも好きという気持ちは消えず、彼の心の中でくすぶっていた。
それほどまでに好きな、求めていた存在が今目の前で微笑んでいる。
形を成し、自分と同じようにこの世界に存在している。
今まで言われたどの否定の言葉も、あざけりも、彼女の言葉が、彼女の存在が彼の心の中で真実として支配していった。
「本当に…いた。魔物はいたんだ。」
やっと口から出た声はかすれ、情けなく震えてしまう。
「はい。これからも、いつまでも私たち魔物はずっと人間の側におります。」
「…。」
彼女のそんな言葉がとても嬉しかった。今にも泣き出してしまいそうな気持ちを
[3]
次へ
ページ移動[1
2 3 4 5]
[7]
TOP [9]
目次[0]
投票 [*]
感想[#]
メール登録