「どうか今日も無事に戻ってこられますように。よろしくお願いいたします。」
一人の男が山の入口に佇む石像に向かって手を合わせている。
石像は地元の人間たちによって綺麗に清められ、足元には少量の白米や地元でとれた野菜、そしてお神酒が供えられている。その石像は男がこの地に生まれる何世紀も前に、異界として恐れられる山から入山した人間が無事に戻ってこられるようにと作られた守り神だ。
「よし、それじゃあ行きますか。」
入山時に必ずする儀礼を終え、男は一つ大きく深呼吸をして中身がパンパンに詰められたリュックサックを背負い歩き出した。
男の名は木村篤という。
この一帯の土地を何代にもわたって守り育んできた木村家の次男坊だ。
高校、大学と農業科を専攻し、この辺りでは少なくなった農家の担い手となるべく知識を身に付けた。元々長時間パソコンの前でデータを処理したり、汗を流して営業に奔走する自分の姿が想像できなかったというのも本音ではある。
元来篤はそういった生活に興味は薄く、例え厳しい生活となろうが自然と向き合い、生きているという実感を得る事が出来る農業が好きだった。どうやらそれは五歳年上の兄であり木村家の次期当主となるであろう恵一も同じ性分であるらしく、兄も大学を出てすぐに実家に戻り、身に付けた最新の農業方法を活用してこの土地をさらに豊かにするべく奔走している。
ちなみに兄は大学時代に知り合ったデザイナー志望のユニコーンである由美江と恋に落ち、この地に帰ると同時に結婚した。義姉は現在兄の農業を手伝う傍ら、長年の夢であったデザイナーとしても活躍している。気立てのよさや誰からも好かれる人柄で両親や篤との関係は良好そのものだ。
そんな二人は広大な土地を維持するため、役割分担をしていた。
まず農家にとって一番の生命線であり、自分たちの食料確保として何よりも大切な水田の管理は二人で行う。そして大学でアレロパシーや無農薬農業を研究していた恵一は畑を、竹などを使用した新世代のバイオマス研究をしてきた篤は山(竹山と蜜柑を栽培している山の両方)をそれぞれ担当する、と。
元々兄弟の仲もよく、身に付けた知識を存分に活用できる分担によって木村家と木村家が管理する土地はより一層の繁栄をみせていた。
「うん。台風による大きな被害も無いみたいだしよかった、よかった。」
そんな篤が今日山に入ったのには幾つかの目的があるからだ。
一つは先日この一帯を襲った台風による被害の確認であった。竹林というのは以外にもデリケートであったりする。台風の風によって倒れてしまった竹が他の竹を傷つけてしまったりすると、来年の春に出てくる筍が少なくなってしまったりするのだ。だが、幸いにもしばらく山を見て歩いたが、竹が倒れている様子は無い。どの竹も台風の風雨に負けず、しっかりと根を生やし生きている。
主だった被害が無いこともあり、篤は足取り軽くずんずんと登っていく。すると、ある意味で一番確かめたいことであり楽しみでもある目的地が見えてきた。
それは山の中腹辺り、竹や木が人為的に切り拓かれた土地に忽然と現れる民家。家というには小さいような気がするし、掘立小屋と言うには立派なそれは篤の祖父が山で作業中に休息するために建てたもので、きちんとした休息が出来るよう水道や電気もちゃんと母屋からひいている。これは篤の邪推であるのだが、祖父は半ば別荘の様な気分で建てたのではないかと思っている。
そして現在、この家には一人の魔物娘が住んでいる。その彼女に会いに行くのが、ある意味山に入った理由の本丸であったりする。
「こんにちは、月子さん。」
「やあ、篤殿か。いらっしゃい。」
ちょうど彼女は家の前に切り拓いた畑での作業中であったらしいく、首から下げた手拭で顔の汗をぬぐいながら作業を中断し歓迎してくれた。ただ、勢いよく鍬を地面に突き刺す様は彼女が武人であるだけに少し怖い。
彼女の名前は竹内月子。誇り高き獣人の一族である「人虎」だ。
手足には金色に近い黄色の美しい毛並みに黒い縞模様が入った独特の体毛が生え、美しい肌を保護している。そして鍛え抜かれた見事な肢体や思わず生唾を飲んでしまうような特大の乳房が実に際どいビキニ型アーマーによって守られている。その血色や艶のいい肌に目がいかない男はいないのではと思ってしまう。
「昨日の台風は大丈夫でしたか?」
「篤殿が知らせてくれた御蔭で難なく過ごす事が出来た。ありがとう。」
「お役に立てて何よりです!!」
「いつもすまない。さあ、立話もなんだしよければ上がってくれ。」
武人ならではの鋭い目つきや肉食獣の証である様な鋭い両の手の爪の所為で勘違いされやすいが、月子は常に理知的で誰にでも非常に優しい。本当の武人は相手に強さを悟らせないという言葉を篤は月子と出会って実感した。
「そうさせて
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