目を開けば見知らぬ部屋が視界に入ってきた。
頭の中は寝起きだからか、真っ白で思考がうまく働かない。
目だけを動かして辺りを見回す。白い壁と天井、石か何かで出来た床。奥の方にある床には段差があり、下の方は浸水されている。その水がどこか淡い光を帯びて輝いて見えるのは気のせいだろうか。
自分の服装は燕尾服に似た黒い物を着ていて、白い手袋を着けていた。それらが水でも吸い込んだのかのように少し重く感じられた。
景色に見覚えは一切無い。なぜここにいるのかさえ分からなかった。分かった事といえば自分がベッドの上に横たわっているということくらいのものだった。
「ここ、は……」
「ここは海都クタアトです」
「っ……!」
すぐ後ろ――正確には頭の上――から声が聞こえ、起き上がり様に飛び退く。
振り向いた所で目を疑った。
「に、人魚……?」
「あ……まだ動いてはいけません。だいぶ海水を飲まれていらっしゃったみたいですから、しばらく安静にしていた方がよろしいかと……」
心配げな顔になって、翡翠色の尻尾を動かして静かに近づいてくる。
敵意は感じられない。彼女は本気でこちらの身を案じてくれているようだった。
「……貴女は、誰?」
「わたくしはシー・ビショップ」
穏やかに、優しく微笑みを向けられる。
それは慈悲深い暖かさを心に感じられるほどだった。
「ソフィアリア、と申します。どうぞお見知りおきを」
スッと白い服の両裾を指で摘まんで、膝(?)を落とす。
気品ある振る舞いに思わず見惚れたのも束の間、すぐさまさきほどソフィアリアが口にした言葉を思い出す。
「海水……と言っていましたが、私は溺れていたのでしょうか?」
「はい。わたくしが見つけた時にはだいぶ時間が経っていたようでしたので、申し訳ありませんが……そ、その……断りも無しに、儀式を執り行ってしまいました」
なぜか彼女は頬を染めて、俯く。
「ただ……わ、わたくしも見るのは日常茶飯事なのですが……じ、自分でするのは……は…………て、でしたので……。ちゃんと成功しているのかどうか不安で仕方がなくて……」
もじもじしながら、上目遣いで見上げてくるソフィアリア。
なぜ彼女がそのような態度になっているのかは謎だし、言っている事もよくわからなかった。理解出来たのは、彼女が命の恩人であるという事だけだった。
「……ソフィアリア様」
自身の胸に右手を当てて、頭を垂れる。
「赤の他人である私に救いの手を差し伸べていただき、ありがとうございます」
「……頭をあげてください。わたくしは当然の事をしたまでですから」
染めた頬のまま穏やかに微笑むソフィアリアの言葉に頭を持ち上げてから、自分がまだ名乗っていない事に気が付いた。
「申し遅れました。私は……」
そこで頭が真っ白になった。
どんなに思考を巡らせても、その項目に該当が無かったからだ。
「…………」
驚く。そしてそれは静かに、恐怖へ彩られていく。
「思い……出せない……? そんな、馬鹿な……」
あり得ない事だった。何よりも身近な単語、自分自身の名前。その一文字すら分からない。
自分が何者なのか、今までどんな所に住んでいたのか、家族は、友人は……。
何一つ思い出す事が出来なかった。
代わりに過った言葉は、記憶喪失という陳腐な言葉だけだった。
絶望感に蝕まれ気が狂いそうになった時……唇が柔らかい物に包まれた。
視線を上げれば目を閉じたソフィアリアの顔が目の前にあり、自分の唇と彼女の唇が触れ合っている状態だった。
時間が停まったような感覚。それに反して、自分の中にある負の感情がどんどん消えていき心が落ち着きを取り戻していった。
やがて、ソフィアリアは静かに唇を離した後、優しく抱擁してくれた。
「大丈夫ですよ。自分の事が分からなくても、これから自分を見つけていけば……良いのですから」
その身体に、その声に、その言葉に、自分自身の全てが救済された。
「時間はたくさんありますから……。貴方さえ望んでくれるのであれば……幾らでも」
暖かな温もりに身を委ねながら、見上げると彼女はどこか物悲しげな憂いを帯びた表情をしていた。
そんな顔は似合わないな、と思いながらも今は彼女の温もりを感じていたいと目を閉じた。
†
オレンジ色に染まる海を泳ぎ、中層から浅層へと昇っていく。
水面が近づくにつれて、オレンジ色がどんどん深みを増していく。
息をする。音を立てて口から小さな泡が幾つか、昇って行った。
海の中だというのに、陸の上と同じように自然と呼吸が出来る。そんな有り得ない事でさえ、今では当然の事として身体に染み込んでいた。
「…………!」
前方から大きなサメがこちらに向
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