「…臭いますね」
開口一番。
彼女の一言に、僕は心臓が飛び出そうになった。
「紅茶、おいしくなかったですか〜?」
尋ねるももの言葉に、首を横に振るメイドさん。
彼女が言う臭いというのは、差し出したお茶からではなく。
他でもない…寝室の臭いだ。昨夜、僕とももが交わった部屋。
いくら念入りに掃除をしたからといっても、
あの独特の臭いがそう簡単に落ちてくれるはずもない。
ある程度慣れてしまった僕の鼻にまで臭ってくるのだ、
先程まで新鮮な空気を吸っていた彼女には、特に臭うだろう。
「………」
カップを受け皿に置いて、ミーファさんが僕を見る。鋭い目付き。
彼女の視線は、臭いの正体を見透かしているかのようだった。
どことなく後ろめたさを感じ、苦笑いを返すだけの僕。
早くこの気まずい雰囲気が終わってほしいと、ひたすら祈りながら…。
「…納得した訳ではありませんが」
ふと、眼鏡の鼻掛け部分を指先で持ち上げつつ。
「理解はしました。彼女のことについては」
ミーファさんは、ちらりとももに目をやり…そう呟いた。
彼女の理解を得ることができ、また、話題が変わったことで、
ほっと胸を撫で下ろす。緊張の糸が解けた、というやつだろう。
僕は漏れた溜息の代わりに、熱い紅茶を身体の中へ流し込んだ。
…もものことは、できるだけ秘密にしておきたかった。
とはいえ、彼女…ミーファさんは、これから一緒に暮らしていくのだ。
ひとつ屋根の下で、ももの存在を隠し通すのはとても難しい。
かといって、彼女の務めを断れば、その通知がお父さんの元へ届いて、
事態は余計に大事になってしまう。それだけはどうしても避けたかった。
だから、僕は彼女へ、ありのままを話すことにした。
僕がここに来てから得た、情報の全てを。…蛇足的な部分は除いて。
賭けだった。ミーファさんがどういった人なのか、まだ掴めていない上で、
この話をするのは大きなリスクがある。それを承知で、僕は全てを伝えた。
もしかすれば、驚いた彼女は山を下りて、衛兵を連れてくる可能性だってあった。
もものことを、魔物か何かと勘違いをして。ありえない話じゃあない。
人に近い姿へ化けて、こちらを襲おうとする魔物だっているのだから。
「もも様は、ソラ様の飼っている牛が変化した姿…。それでよろしいのですね?」
でも、それは杞憂に終わった。
少し怖い雰囲気のあるミーファさんだけれど、理解のある人みたいだ。
僕の拙い説明を真剣に聞いてくれて、かつ、その言葉を信じてくれた。
一番望ましい結果。僕は笑みをこぼしながら、ももと顔を見合わせた。
「では、ギルドへ提出する報告書には、もも様の存在は伏せておきます」
そう言って、手帳を取り出し、さらさらと何かを書き綴るミーファさん。
先程の話の内容をメモしているのだろうか。報告書を書く際の資料として。
「………」
…先程貰った、簡単な自己紹介によると。
ミーファさんは、ここカウランドのお隣の国、メイデンの出身。
メイデンという国は、多数の貴族とその従者からなる国で、
毎日のように莫大なお金が動く大富豪国家のひとつだ。
最大の特徴として、従者ギルドという聞き慣れないものがあって、
これは貴族が望む従者をすぐに手配するためのギルドらしい。
従者ギルドは貴族以外からの依頼も引き受けているので、
それで今回、お父さんはギルドからミーファさんを雇ったそうだ。
なんでミーファさんを選んだかは…なんとなく分かる。
お父さん、眼鏡を掛けた女性が大好きだから…。
「…ところで」
書き終えたのか、手帳を閉じて。
彼女は再び僕に視線を戻し、言葉を紡いだ。
「ソラ様、主人と従者というのは、信頼関係が不可欠です」
そして、突然始まる主従講義。
なんだろう…、仕事上のルールとか、そういったものの確認だろうか。
貴族には変な人が多いから、従者をオモチャのように扱う人もいるらしい。
それを防ぐために決まり事を提示するのは、極々当然のことだと思う。
「信頼関係とは、即ち秘密の共有です。隠し事を相手に晒すことです」
隠し事を相手に晒すこと…。
つまり、つい先程までの話がそう。
僕は秘密のひとつを、彼女に晒したことになる。
「従者は、主人の身の回りをお世話するだけでなく、良き隣人にも為りえます」
「それは時に、危機に陥った主人の秘密を守る盾ともなるでしょう」
「良く言えば共同、悪く言えば共謀です。それも従者の務めです」
良く言えば共同、悪く言えば共謀…。
ももの秘密は、どちらに当たるのだろう。
「勿論、その匙加減は主人次第であり、従者が決めることではありません」
僕の目を、まっすぐに見つめる彼女。
レンズの奥に、芯まで透き通った瞳が覗く。
「従者は主人の信頼に、全力で報います。その
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