一面の野花と、青々しい草芽。蝶々がひらひら舞い飛んで。
その間を縫うように、さらさらと綺麗な小川が流れゆく…。
どこか幻想的な景色を前に、しばし見惚れてしまう僕。
まるでここは、御伽話で聞いた妖精の国みたいだ。
嫌になるほど自然豊かな場所だとは知っていたけれど、
まさか、こんな風景があるなんて思ってもみなかった。
ちょっと田舎を馬鹿にしていたかもしれない。素直に反省。
「わぁっ。素敵な場所です〜」
口振りからして、彼女もここに来るのは初めての様子。
お婆ちゃん作の地図によると、小川はここの他にも、
もうひとつ、南の方に流れていて、それらが下流で合流するらしい。
普段、牛たちを連れていっているのは、そちらの小川なのだろう。
考えてみれば、確かにここは景色が綺麗で良いところだけれど、
牛たちを連れてきてしまっては、地面がめちゃめちゃになってしまう。
それを知っていて、お婆ちゃんはこちらに来るのを避けていたのだろう。
「ご主人様〜。蝶々ですよ、蝶々〜♪」
とはいえ、今いる牛はもも一匹。
その心配をする必要はない。大人しいし。
さて、いつまでも景色に見とれていちゃいけない。
ここへ来た目的は、汚れた彼女を洗いに来たんだ。
どう洗えばいいからは分からないけれど、そんな時こそ、
お婆ちゃん直筆、牛の育て方マニュアルの出番というもの。
ページをめくり、牛の身体の洗い方を探す。
何も道具を持ってこなかったけれど、きっとブラシとかが必要だろうなぁ…
なんて思っていたら、やっぱりそうだった。マニュアルには、こう書かれていた。
◆◇◆◆◇◆牛の身体の洗い方◆◇◆◆◇◆
・用意するもの
バケツ、ブラシ、タオル
・洗い方
1.バケツいっぱいに水を汲む。
2.お尻から頭に向けて、水をかけていく。
(ゆっくりかけてあげないと驚くので注意)
3.背骨をてっぺんに、上から下へとブラシで磨く。
(磨く時も、お尻側から磨いていくこと)
4.最後に、全身をタオルで念入りに拭く。
(拭く時も、やはりお尻側から拭くこと)
※たまに背中のマッサージもするべし。
そうすることで、おいしいミルクが出る。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
バケツ、ブラシ、タオル…。
とりあえず、この3つを用意しないと話にならない。
一度家に戻って、これらの道具を探してこよう。
確認を終え、帳面を閉じ、振り返る。
そこには、人差し指を伸ばしながら、蝶々を誘うももの姿。
子供っぽいなと思いつつ、僕は彼女に、ここで待っているように告げた。
「わかりました〜。ここにいます〜」
そう言って、ちょこんとその場に座るもも。
助かる。普通の牛なら、こうはいかないだろう。
言葉が通じるっていうのは、とてもありがたいことだと思う。
そんな当たり前のことを考えながら。
彼女の笑顔と、バイバイする手に見送られつつ、
僕は駆け足でお婆ちゃんの家まで戻っていった。
……………
………
…
すごく今更なのだけれど。
僕はついさっきまで、重大なことを忘れていた。
気付いたのが、ブラシを見つけた瞬間。
彼女は今、牛じゃあない。
本当に、何を今更…と言われれば、その通りではあるけれど。
ブラシを手に取って、これでどこを磨くんだろう…なんて、
他人事みたいな考えと共に思い出した。なんて能天気。
さっきまで余裕そうに、仲良くおしゃべりなんてしていたのは、
今の状況がどれだけ大変なことか理解していなかったからだろう。
なんだかんだで、やっぱり混乱していたんだと思う…。
いや、反省は後でするとして、これからどうするかだ。
当然ながら、マニュアル通りにやるワケにはいかない。
そんなことをしたら、僕も恥ずかしいし、ももだって嫌がるだろう。
そう思って、僕は彼女に、水浴びのやり方を覚えてもらおうとした。
言葉は通じるのだから、教えるのはそう難しくないと考えたから。
が、物事はうまく運ばないもの。
彼女はなんと、僕に洗ってほしいと言うのだ。嫌がるどころか。
お婆ちゃんの洗い方がよっぽどお気に入りだったようで、
僕にも同じように、マニュアル通りの洗い方をしてほしい、と。
当然、僕は必死になって断った。
お婆ちゃんみたいに上手くできる自信がないし、何より恥ずかしい。
今のももの身体を洗うというのは、つまり、女性の身体を洗うのと同じだ。
どうして僕が、そんなことができるだろう。無理中の無理。不可能だ。
けれど…そう答えると、彼女はひどくしょんぼりとしてしまった。
耳と尻尾をペッタリ垂らして、あからさまに俯きな表情になって…。
まるで、楽しみにしていたオヤツが無くなった子供みたいに。
地面に座り込んで、のの字まで書き始める始末。
…そんなこんなで…。
「それじゃあ〜、ご主
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