―お婆ちゃんが倒れた。
お父さんの一言に、僕とお母さんは心底驚いた。
お母さんなんて、手に持っていた包丁を落とすものだから、
近くに立っていた僕は、二度も驚くハメになってしまった。
僕のお婆ちゃんは、ここから山をいくつか越えた先にある、
カウランドという国に住んでいる。畜産業で栄えている国。
お婆ちゃんも、女手一人ながら、小さな牧場を経営している。
年に何度か家族で遊びに行くのだけれど、僕の印象としては、
山の上で牛を放し飼いにしてる…くらいのものしかない。
のどかで、自然がいっぱいで。つまり田舎っぽい国なのだ。
そんなところに住んでいるお婆ちゃんが倒れたというのだから、
僕達は慌てて出掛ける準備をした。なんせ、歩いて丸3日掛かる距離だ。
お父さんも、歩いて行っては遅いと判断したのか、馬車を呼んできた。
僕は初めて乗る馬車にドキドキしたけれど、出発してみると、
ガタガタと揺れて、とにかくお尻が痛かった。もう乗りたくない。
とにもかくにも、僕達は半日を掛けて、カウランドに到着した。
空はとっぷり暗くなっていたけれど、宿を探すよりも先に、
お婆ちゃんが運ばれたという診療所を探さなければいけない。
家族一同、手紙に書かれた地図を頼りに、道行く人に尋ね、
あっちこっち走っては、なんとかその場所を探し当てた。
息を切らせながら、お父さんはお医者様に、お婆ちゃんの様態を訪ねた。
いったい、お婆ちゃんはどんな病気に掛かってしまったのだろう。
僕とお母さんは、呼吸を整えながら、お医者様の顔を見つめた。
が、お医者様は微笑みながら、ゆっくりと答えた。
骨折ですが、命に別状はありませんよ、と。僕達は目が点になった。
そう、お婆ちゃんは病気ではなく、骨折…怪我だったのだ。
倒れただなんて、ややこしい言葉を使われたものだから、
僕達はうっかり勘違いをして、急いで来てしまったのだ。
この手紙を書いた人は、余程人を驚かせるのが好きに違いない。
さておき、お婆ちゃんは元気だったので、一安心だ。
ワッハッハと恰幅良く、僕達の勘違いに腹を抱えて笑っていた。
どうやらお婆ちゃん、高いところに仕舞った道具を取ろうとして、
梯子から足を滑らせて落ちてしまったらしい。それはそれで大事だ。
笑って話すお婆ちゃんに、お父さんが、もう歳なんだから…と言うと、
一人で暮らしてんだからしゃあんめえ、なんて、お父さんを困らせていた。
お婆ちゃんのいつも通りの様子に、胸を撫で下ろす僕達。
が、急にお婆ちゃんは声のトーンを落として、呟いた。
―牛たちはどうすっぺがなぁ…。
その不安げな口調に、僕達は顔を見合わせた。
先程も言った通り、お婆ちゃんは女手一人の牧場主。
お婆ちゃんがいなくなってしまっては、飼われている牛たちは、
小屋から出してもらうこともできず、檻の中の生活になってしまう。
かといって、ずっと放し飼いにしていればいいってものでもない。
誰かが見ていてあげないと、たちまち狼に獲って食べられてしまうからだ。
誰かが残るか、それとも牧場を手放して、お婆ちゃんもこっちに来るか…。
僕達は色々と話し合ったけれど、お婆ちゃんとしては、
思い入れ深い牧場を売ってしまうのは、やっぱり嫌らしい。
そうなれば、誰かが残るしかない。お父さんか、お母さんか、僕が。
が、これはもう、相談せずとも決まっていた。
お父さんは大工さんなのだけれど、今、大きな仕事を抱えている真最中。
依頼主である貴族様がうるさいで、これ以上長く休むのは無理なのだ。
ではお母さんはというと、そっちもそっちで、縫製の仕事が忙しい。
家事もあるので、とても家を離れていられる状況じゃあない。
そう。残るのは、僕なのだ。
最初、僕はその事実に気付かず、お前が残ってくれ、と言われた時は驚いた。
それこそ、お婆ちゃんが倒れたと聞いた時と同じくらい、びっくりした。
当然、僕は嫌がった。
だって、友達とも離れることになるし、吟遊詩人も山の上には来ない。
楽しみも無ければ、待っているのは、ちょっぴりクサイ牛だけだ。
ご飯や掃除、洗濯だって、一人でちゃんとやれる自信がない。
初めての一人暮らしを前に、僕は両親へ大いに反発した。
お父さんは、そんな僕をなだめながら、こう言いくるめてきた。
お婆ちゃんの怪我は1年で治るらしいから、それまでの辛抱だ。
後でお手伝いさんを雇って、僕のところへ送るから、頑張ってくれ。
もし、ちゃんとできたら、帰ってきた時に好きなものを買ってやる。
ご馳走も用意しておくわよ、と横からお母さんも付け加えて。
僕はちょうど、欲しかった英雄譚の本があったので、渋々飲むことにした。
頷く僕に合わせて、お母さんもお父さんも、そしてお婆ちゃんも喜んだ。
笑顔が戻ったお婆ちゃんを見て、了承して良かった
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