耽溺釣世

幸せというのは素敵なものだけれど。
それは時に、人を怠惰な存在に変えてしまう。

「………」

…そんな、誰かが言った言葉を、ふと思い出す。

湖とも呼べない水溜まりに、釣り糸を垂らす僕。
かれこれ5時間になるだろうか。昼前からこんな感じだ。
崩れた胡座を組み替えながら、ぼんやりと浮きを見つめて。

たまに通りすがる人に、釣れているかと尋ねられる。
僕が、傍らに置いた魚籠を見せると、そういう日もあるだろうなと続く。
たまに通りすがる人に、仕事は休みかいと尋ねられる。
僕は、竿先を僅かに揺らしながら、休みになる仕事がないよと返す。

ここでふたつ、念を押しておきたいことがあるんだ。
ひとつは、僕は働かないことを良しとしているワケじゃあない。
働くのはいいことだ。八百屋が働けば、おいしい野菜がいくつも手に入る。
洋服店があれば、女性は自分を褒めてくれる相手探しに困らない。
そして雑貨屋があるからこそ、僕はこうして釣り具を調達できる。

ただ、僕は働くことに向いていないのだ。
鍛冶屋のおじさん曰く、ノロマらしい。動きがとろい、と。
そうだと思う。のんびりしているからこそ、釣りが好きなんだろう。
今では毎日、釣り上げた魚を家に持ち帰ることが、仕事みたいなもの。
お母さんは僕を、お前は本当に釣りの名人だねえと笑ってくれる。
お父さんは僕に、ここが漁村ならばなぁと苦笑いを浮かべる。
そんな両親のためにも、職に就きたいとは思うのだけれど。

もうひとつ、魚籠の中が空っぽなのは、釣れないからじゃあない。
足元を見てほしいんだ。僕の足元。違う違う、ほら、そこだよ。

「………」

そう、池の中。彼女の姿が見えるだろう?
魔物さ。なんていう名前かは知らないけれど、れっきとした魔物。

…ん。おっと。

「…!」

浮きが沈んだのを見て、引き上げると…獲物が水面から飛び出した。
それなりの大きさ。こちらも名前は分からないけれど、食べられる魚だ。

僕は、釣り上げた魚の口から針を外して、池の中に投げ入れた。
投げ入れる地点は、彼女が沈んでいる真上。距離は短いので難しくない。
魚が池に戻り、また優雅に泳ぎ始めようとするところで…彼女が動く。

それは一瞬。
手に持った銛で、一突き。水面に、ちゃぷんと波紋が走る。
獲物を仕留めた彼女は、悠々と刃先から魚を引き抜き、そのお腹へ齧り付いた。
齧り付いた…と表現したけれど、口が小さいので、吸い付いているようにも見える。

ともかく、つまりはこういうことなのだ。
彼女が満腹になるまでは、いくら釣り上げようと、魚籠の中は空っぽ。
そういう日もあるのではなく、毎日がそういう日なのだ。

「………」

…彼女とこんな関係になったのは、1ヶ月前。
いつもと同じ様に釣りをしていたら、急に足から池の中へ引き摺りこまれた。
そして、まあ、彼女とエッチなことをして、恋人同士になった。突然だけど。
可愛いし、エッチは気持ち良いし、幸せではある。彼女も、僕を好きと言ってくれる。
ならそれでいいじゃないかと思うけれど、僕の村は教会の信仰が根強い。
両親に、僕に恋人ができたことを報告できないのは、それはそれで不幸だ。

さておき、彼女はそれ以降、僕がここで釣りをする時は、ずっと傍に居る。
どうやら前々から、釣り過ぎて逃がしていた獲物を頂戴していたらしく、
今はそれがとても顕著になっている。自分で魚を獲ろうとはしない。
今までの言動から察するに、彼女にとって、釣った魚を池に戻す行為は、
僕が彼女へプレゼントを渡しているのと同じらしい。正直、よく分からない。

だけれど、それで彼女が喜んでくれるのならと、僕はこの行為を繰り返す。
それでも帰る頃には、魚籠一杯に釣れるのだ。勿体無くはない。

「………」

不意に、水面へ顔を出す彼女。
食べ終わったらしい。辺りをきょろきょろと伺っている。

警戒しているようだ。
当然といえば、当然。彼女は魔物なのだから。
教会の関係者に見つかれば、厄介なことになるだろう。

「………」

…大丈夫と判断したのか、黒い髪を滴らせ、陸に上がりくる。

水に濡れ、身体のラインに合わせてぴっちりと吸い付く服。
幼さが残る彼女だけれど、ちゃんと凹凸はある。女性らしく。
水滴が流れ落ちる白い肌も、どことなく艶めかしい。ちょっぴりエッチだ。

「………」

…それにしても、彼女は本当に無口だ。
僕も大概だけれど、彼女の場合は度を越して無口。表情も硬い。
たぶん、いくらくすぐっても、へっちゃらなんじゃないだろうか。

「………」

そんな彼女が、僕の前で目を閉じ…唇を差し出してくる。
こちらから出迎える間もなく、触れ合う唇。ちょん、と軽いもの。

「…
#9829;」

薄く目を開き…ほのかに頬が染まる。
照れているのだと思
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