落涙雨流

雨は止まない。より強くなるばかり。

ここは何処だろう。ひどい土砂降りで、何も見えない。
歩いているここが…進む先が、道なのかどうかも。
僕は何処へ向かっているんだ。僕の身体は、何処へと。

そうだ、僕の身体は、どうなっている?
あれだけ焼ける様に痛かった身体が、今はもう何も感じない。
こんなに降り注ぐ雨粒さえ。生きているのか、死んでいるのか。
それが分からないということは…きっと、死んでいるのかもしれない。

景色が揺らぐ。倒れたのだろうか、地面が近い。
もう駄目なのか。これが死ぬっていうことなのか。
何の実感もない…からっぽになって、僕は死ぬのか。

死…。

……僕…は………。

……………

………



「…おはよう」

……………。

「………」

………あ、れ……。

「………」

…ここ、は…?

ぼやけた視界に…天井が見える。そして、女性の顔も。
僕の知らない人。美人な人だ。村にはこんな美人な人、いなかった。

「………」

…助かった…、僕は、死ななかった…?
この人が、僕を助けてくれた…?

渦巻く疑問の中、僕は身体を起こそうと…―

「っ! 駄目…!」

血。

血が、駆け巡った。裂かれる痛みと共に。
身体中を鋭い爪が這い、皮と肉を容易く裂き…。
そんな表現が近く、でも、足りない。全然足りない。

反射的に強張る身体に、更に刺激された傷口が、痛みを叫ぶ。
鮮明に感じる生。狂おしいほどに。自らに爪を突き立て、掻き毟りたいまでに。

「動いては駄目…」

混濁する頭の中に届く、優しい声。
荒く息を吐き、苦しみを吐き出しながら…目をそちらに見やる。

「………」

彼女は、何も言わず…じっと僕を見つめている。

綺麗なその女性は、僕より幾分か歳上だろうか。
落ち着いた雰囲気で、着物…濡れた着物を、身に纏っている。
よく見れば、髪もしっとりとした…流水…まるで雨の中にいるみたいな…。

「………」

そうだ。僕は、土砂降りの中で倒れたんだった。
彼女が濡れているのは、きっと僕を助けたせいで。
着替えをする暇も惜しんで、看病してくれたのだろうか。

…視線を自分の身体に移すと…そこには、紅く染まった包帯…。
きっとこれも、彼女が巻いてくれたんだろう。傷だらけの身体に。

「………」

…ほんの少しだけ、状況が見えてきた今。
ひとまず、ひとつだけ…するべきことが分かる。

彼女に、お礼を言うこと。

「…ふふっ」

返ってきたのは、小さな笑み。
精一杯に浮かべた笑顔が、ぎこちなかったのかもしれない。

「貴方が無事で、良かった…」

透き通る水の様な…心に注ぐ声。
何故だろう、彼女の一言々々が、とても心地良い。

「………」

そっと…彼女は僕に近付いて…黒い髪が床を流れる距離まで…。
細く白い指が、唯一、傷の無い僕の顔…頬を、優しく撫でる。

どきり、と胸が鳴った。
少しひんやりとした、柔らかい手が僕の頬に触れていることと。
彼女の綺麗な顔…近くで見て、ますますそう思う顔が…目の前にあること。
そして、着物。ふと気付けば…うっすらと透けていて、彼女の身体が…。

そんな僕を、戒めるように…身体が、キシ…と軋む。

「…貴方は…」

苦痛を喰いしばり、隠そうと装う僕に…彼女が問い掛ける。

「貴方は、どうしてこんなに怪我をしているの?」

……………。

…どうして…。どうしてだろう。
どうして、僕はこんな怪我を負わなければいけなかったんだろう。
僕だけじゃない。村の皆も。お父さんも、お母さんも、妹も。皆。
どうして、皆。誰も悪いことなんてしていないのに。皆、みんな。

どうして…殺されなければいけなかったんだろう…。

「………」

ぽつりぽつりと…にわか雨のように呟く僕。
彼女は、水溜まりのように…静かに僕の話に耳を澄ます。

僕の生まれは、ジパングの一都市、エヒメに属する辺境の村。
ミカン農業が盛んな…エヒメではありふれた、平凡な村だった。
僕は毎日、妹と一緒に、お父さんとお母さんの作るミカン畑を手伝って…。
たまにある暇な日は、夕方まで、友達と泥んこになって遊んで…。
その繰り返し。ずっと変わらないだろうと思っていた毎日。

一瞬だった。
僕が目を覚ました時には、もう、全てが変わっていて。
燃えている家。倒れている母。泣き叫ぶ妹。響き渡る怒号と、土砂降りの雨。
僕の名を呼ぶお父さんの背中から、剣が伸び。妹と逃げろと。誰かを押さえ付けながら。

必死で駆けた。妹と手を繋ぎ、焼ける村の中を。
何処かから飛んできた矢が、僕らを刺し、剣を振りかぶった誰かが、僕らを分かち。
振り返れば、そこには…肩からお腹に掛けて、真っ赤な血を噴き出す妹の姿。

叫び、飛び掛かろうとした僕を、誰かが突き飛ばした。
逃げろと叫ぶ…友
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