隷救月下

僕の新しいご主人様は、気難しい。

「ええい、まだ終わらぬか! もう日が昇るぞ!」

梯子の下で、僕の仕事に御立腹なご主人様。
長い御々足…そのつま先が、苛立ちを表すように音を鳴らして。

カンカン、カンカンと、暗い御屋敷に響いて消える。

「もうよいっ! 残りは明日に回せ! 早くカーテンを閉めろ!」

一層、大きく響く音。

そもそも、こんな大きなカーテン…それを100枚以上も、
一夜の内に全部交換するっていうのが無理難題というもので。
僕の仕事が遅いのは確かだけれど、結果を求めるなら、
それは仕事の遅さ云々の前に、見直すべきところがあって。

でも、そんなこと言える訳もないから、言われるままに従っている召使い。
それが僕なのだ。

「まったく…、取り柄の少ない下僕だ。主として恥ずかしい…」

…梯子を下りても、まだご主人様はぶつくさ言っている。

いつものことだけれど、本当に僕のことが気に入らないらしい。
四六時中、僕の近くで御小言するくらいだから、余程だと思う。
洗濯の仕方が荒い…とか、隅に埃が残っている…とか。
それらは僕の不手際だし、助言として受け取れるけれど、
ひどい例だと、ホウキの持ち方が気に食わない…なんて御叱りも。
その度に謝って、どうにかしようとするけれど…中々うまくいかない。
ご主人様の気に入るホウキの持ち方なんて、分かるワケがない。

「ソラ」

僕を呼ぶ、ご主人様。

…嫌な予感がしたけれど、返事をして、振り向く。

「カーテンが閉め終わったら、夜食の準備を。30分以内にだ」

それだけ告げて…ロウソクの火が照らす暗がりの廊下を、
足音を鳴らしながら………ご主人様は、闇に溶け込んでいった…。

それを見送って……溜息を、ひとつ。
残り30分で、お屋敷中のカーテン閉めと、夜食の準備。
あぁ、また無理難題。また御小言。

召使いって、楽じゃない。

……………

………



「…ふむ」

長い長い…30人は座れそうな豪華な食卓、その最たる上座で、
スプーンの上でぷるぷるとふるえるプリンを、じっ…と見つめるご主人様。
その傍らで、トレイと布巾を手に、見守る僕。

「……ん…」

ゆっくりと、プリンがご主人様の口の中に入り…閉じられる。

……咀嚼の後…、一言。

「ソラ」

あぁ、御小言だ。

「味は良い。見た目も上品だ。さすがに、数少ない取り柄の一つだけはある」

と思ったら…お褒めの言葉。
言葉からして、この後に御小言が来そうではあるけれど。
でも、やっぱり頑張ったことを褒めてもらえるのは嬉しい。

新しいご主人様と、前のご主人様の違うところ。
その一番大きな違いは、褒めてもらって、僕が嬉しいと感じるところだと思う。

「だが、幼稚だ。我に釣り合わん」

…ひどい例に入る御小言。

確かに、一般の人達も食べるメジャーなデザートではあるけれど、
僕みたいな貧民出だと、味見以外で口を付けたことなんて一度もない。
それだけでも、充分ロイヤルなデザートだと思える。

「…味も、良いとは言ったが、まだ改良の余地があるな」

そして決まり文句。どんな料理の時でも言われる。
そう言いながら、料理の一切れを掬い、僕に差し出して…。

「食べてみろ」

と言うのだ。

…もちろん、僕は料理を作る時に味見をしているから、食べなくても分かる。
でも、そういう問題ではなく、ご主人様が食べろといったものは、
例え毒であろうと食べるのが召使いの仕事…つまり、僕の仕事。

僕を待っているかのように、ふるえるそれを…口に含む。

「………」

口の中に広がる…あまくとろける味。
卵と牛乳、それとカラメルソースが綺麗に調和した、自画自賛できる出来栄え。
これ以上の改良といったら…チェリーや生クリームを添えるくらい、かな?
プリン単体としては、これで完成している…と思う。

「………」

…それにしても。
いつも思うけれど、これはご主人様の癖なのか。
口に含んだスプーンを僅かに揺らして…舌に塗り付けるように…。
僕が食べやすいようにしてくれているのだろうか。

でも正直、食べ辛い。

「…分かったか? 次に活かせ」

スプーンを僕の口から抜き……そのまま、またプリンを掬い上げ…食するご主人様。

「………」

どことなく…満足気な表情。

…時計に目をやると……3時48分。
もちろん、深夜の3時48分である。草木もまだ目を覚まさない。

ご主人様は太陽の光が苦手なので、昼夜逆転の生活をしている。
僕もそれに合わせるのに、最初はかなり苦労した。クマもいっぱいできた。
今でこそ、前のご主人様の時より睡眠時間も多く貰えているけれど、
いずれまた元の生活時間に戻す時が来たら、その時もクマとの戦いだ。
その時が来るならば…の話だけれど。

「…
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