「ワガハイは猫である」
彼女はそう言うと、キーボードの上でふんぞり返った。何がそんなに誇らしいのか、僕には窺い知ることができないが、彼女がそれを許される地位にあるのは間違いなかった。猫は不遜である。そんなことは、誰もが知っている。
この猫に名はある。皆から、ミケと呼ばれ愛されている。愛され過ぎたが故に、今ではすっかり王様気分だ。食卓に置かれた料理を失敬したり。椅子の足を爪研ぎに使ってボロボロにしたり。箱詰めのティッシュの中身をばら撒いたり。でも、その全てが許される。許してしまう。彼女は猫だから。彼女は望んで王様になったわけじゃない。皆が押し上げて、なるべくしてなったのだ。
「ここはぬくいな」
尻尾を揺らめかせながら、腰を落ち着けるミケ。彼女は知っている。彼女の尻に敷かれたそれを、今の今まで、僕が使っていたことを。知っていて、割り込んできたのだ。だが、猫である彼女が、その手でキーを打つわけでもない。お尻で潰して、無限に改行を繰り返すのが精一杯だ。おかげで、書き途中であった僕のテキストは、二百行以上もの余白ができてしまった。今なお増え続けている。
なぜ、彼女はこんなことをするのだろう。決まっている。彼女が猫だからだ。理由があるときもあれば、ないときもある。猫は気まぐれなのだ。考えるだけ時間の無駄であり、そうするよりも、どうにかどいてくれるようお願いするのが、賢い飼い主というものである。
「そんなに見るな。照れるではないか」
頬を赤らめながら、彼女が言う。猫はポジティブだ。魚屋さんの前を通れば、あの店頭に並んだ魚が、明日には全て自分のものになるだろう、と思っているくらいにはポジティブだ。これでも控え目な方だというのだから、驚く以上に呆れ返る。
「仕方がないな。撫でてもいいぞ」
ホレ、とこちらに向けられる腹。体勢が変わったせいか、今度は無限のsが画面を侵食し始めた。しかし、そんなことは、三丁目の鈴木さんに白髪が生えたことくらい、彼女にとってはどうでもいいことだ。彼女が今、一番に求めているのは、お腹を適度に撫でられることである。過度はいけない。適度に、である。
彼女が猫の姿となっている今、その気になれば、僕は彼女を容易に除かすことができる。だが、彼女はそれを許さないだろう。彼女がいる場所は、常に聖域なのだ。無理に除かそうとすれば、威嚇されるか、引っかかれるか、彼女の身体が妙に重くなるか…いずれにせよ、嫌がらせを受けるのは間違いない。仮に成功したとしても、彼女はその鬱憤を、別の場所で晴らそうとするだろう。その被害は、まず間違いなく、今よりもひどいものになる。賢明な選択とはいえない。
溜め息をひとつ。僕は渋々、彼女の腹に手を置き、左右に撫でた。満足気に鳴き、身体を伸ばす彼女。僕はその無防備なラインに反って手を這わせ、終点、彼女の一番お気に入りの部分を、これでもかとくすぐった。
「おぉ。おぉう。いいぞ、上手だ御主人」
喉をゴロゴロと鳴らしながら、彼女が僕の手を抱きかかえる。ずるい。そんな反応をされては、撫でるのが楽しくなってしまうじゃないか。だがしかし、生憎人間には、時間という守らねばならないものがある。僕は今からでも、この無限のsと余白を消して、明日までにテキストを仕上げなければいけないのだ。彼女に構えば構うほど、残された時間は減っていく。心苦しいが、今、彼女の相手をしている暇はない。
「あ、もういいぞ。大儀であった。これ、さっさとやめんか」
が、一転。僕の悩みは何だったのか。彼女は名残惜しそうな素振りも見せず、僕の手を払うと、すっくと立ち上がってその場を離れた。これが猫である。何と横暴で自分勝手な生き物か。しかし、胸にこみ上げてくるものといえば、怒り以上に、愛くるしさ。どうしても、憎いという気持ちになれない。
全ての元凶は、あの風貌にある。神様は不平等だ。ゴキブリのような嫌われ者もいる一方で、あのような生物を創り出すのだから。ピンと尖った耳に、モフモフの毛並み、しなやかな肢体、揺れる細長い尻尾。魅力的と感じない部分が、ひとつとしてない。なんだ、あの悪戯な口元は。なんだ、あのプニッとした肉球は。目、指、鼻、お尻、頬、鳴き声、仕草、全てが全て。まさに魔性の生き物だ。
「御主人」
一人悶々とする僕に、彼女が呼び掛ける。何かと思って、視線をそちらに移すと。どこから見つけてきたのか、彼女は一本のペンペン草を咥えて、部屋の出入り口に立っていた。
「これで遊ぶぞ。付き合え」
清々しいまでの命令口調。お前に拒否権などない、と言わんばかりだ。猫は偉い。よって、他人にお願いなどしないのである。最大限に譲歩して、共に遊ぶ権利をくれてやる、というレベルだ。
だが、悲しいかな、飼い主である僕には従う以外
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