ふと、気が付けば。
そこには、ひとりの妖精がいました。
いえ、正確に述べるのならば、いるように感じました。
だって、妖精ですもの。童話や御伽話に出てくる存在です。
それをはっきりと、『いる』と、胸を張って言える私ではありません。
加えて、彼女はいつの間にか現れ、いつの間にか消えてしまいます。
私がひとりでいるとき以外、その子が姿を見せることはありません。
そのため、私はそれの存在を、明確にしようとは思いませんでした。
私だけが見えているのですから。誰かに証明する必要はないのです。
その小さな幻は、私にとって愛らしい存在でした。
私が何かを作っている時、ふと視線を動かすと、そこに彼女はいます。
そして彼女は、私の肩に腰掛けながら、あるいは頭上に、稀に周囲を飛びながら。
まるで往年の友のように、親しげにこちらへと話し掛けてくるのです。
―何を作っているの?
第一声は、決まってこの言葉です。
料理を作っている時、お話を書いている時、編み物をしている時。
彼女は問いながら、私の手の中にあるそれを、とても興味深そうに見つめます。
その目の輝きようといったら。初めて動物園でパンダを見た子供さながらです。
私は、そんな無邪気な彼女に対して。
手は休めることなく、作っているものについて懇切に説明します。
これはね、オムレツを作っているんだよ。ふわとろに挑戦しているの。
今書いているのは、王子と貧民の物語。冒頭でいきなり詰まっちゃった。
手袋…のつもりなんだけれど、こんなまちまちな指長の人いるかなぁ。我ながら。
語り掛けます。宙へと向かって。
そこには妖精しかいません。何もいません。私ひとりです。
私の言葉を聞いて、彼女は相槌を打ったり、更に質問を投げかけてきたりします。
もちろんその質問にも、私は丁寧に答えます。何も隠したりはしません。
独り言なのですから、恥ずかしいことも、秘密なことも、全部言えてしまうのです。
それ故に、私の全てを知っているからでしょうか。
彼女は私の作業中、何かに気付き、よく声を上げます。
―そこは、こうした方がいいんじゃないかな?
言い方こそ、その時々によって差異はありますが、概ねが助言です。
彼女の小さな手が指差す先には、間違いや、別の手法が隠されている『点』があります。
その『点』に、彼女はいつも私より先に気が付きます。まるで、読んでいたかのように。
勘違いや不注意等々。それらは毎回、彼女の気付きによって救われています。
たまに見逃してしまうこともあるようですが、それは愛嬌というものでしょう。
新たな手法に関しても、そのアイディアは一考に値するものがほとんどです。
それはしばしば、どちらの手法が良いかという新たな悩みを招いてしまいますが、
その迷いは楽しいものであり、そこから得られるものも非常に価値あるものです。
妖精は、自らのアイディアを嬉々として語ります。
私もそれに応え、彼女の助言を盛り込み、作品に新たな道を示していきます。
繰り返し。作品が完成するまで、その繰り返しです。
そこが間違えている。こういうのはどうかな。ナイスアイディア!
繰り返し、繰り返し、何度も繰り返し。繰り返しの繰り返し。
いくつもの『点』。ぶつかる問題。新たな閃き。広がる分岐。
そして、いつしか。ふと気が付くと。
いつの間にか、彼女の姿はどこにもなくなっていて。
代わりに、目の前には、キラキラと輝く作品が出来上がっているのです。
その作品は、決して出来の良いものではありません。
プロのものとは比べるまでもなく、素人目で見ても高く評価できるものではないでしょう。
子供が河原で見つけた、真っ白のすべすべした石。そういったレベルの宝物です。
そう、宝物。私にとって、それは宝物でした。この世の何よりも、かけがえのないもの。
この世界において、少なくとも、私だけは価値を感じるもの…。いえ、彼女も、でしょうか。
そんな宝物を手に取り、眺め、私はしばし悦に浸ります。
理由もなく、抑えようのない笑みがこぼれます。気恥ずかしさも。
妖精は、もういません。彼女にも、今の私の顔はとても見せられません。
それとも、気を使って、姿を隠してくれているのでしょうか。
さて、もちろん、宝物をそのまま仕舞うワケもなく。
誰かに見せたい、共感してほしいという欲求の赴くままに。
私はその完成品を手に、それを見せる相手、または飾る場所を探し始めます。
見つかったら、あとはもう、逸る気持ちを抑えながら反応を待つばかりです。
自信があるのか、それともないのか。心は落ち着きません。ドキドキします。
河原の石ころ。分かっています。でも、真っ白で、すべすべした石なんです。
ある人は、言うでしょう。これは宝石みたいに綺麗だね、と。
ある人は、言うでしょう。た
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