人形は、持ち主を映す鏡だという話があるけれど。
具体的に、何を映し出すのだろう。理想、欲望、それとも…。
「ごきげんよう、マスター」
透き通った声が、微睡みに沈む僕の頭に響く。
寝起きの倦怠感に苛まれながら、ゆっくりと目を開くと、
そこには、ドレスの裾をつまみ、可愛らしくお辞儀をする女の子の姿があった。
「今日は鯨の月の13日。天気は晴れ。誰もが心躍らせる、華の日曜日ですわ」
流暢に言葉を並べ、顔を上げる少女。
くすりと微笑むその表情には、どこか悪戯気な雰囲気が漂う。
それを見て、僕はいつも思う。夢ではないと。
昨日も、今日も、恐らく明日も。彼女は笑い、お辞儀をするだろう。
動くはずのない彼女。元は、人形と呼ばれていたはずの彼女。
歯車も、ネジ巻きも付いていないのに。もちろん、脳や心臓だって。
「ほら、見てくださいませ。こんなに良い天気」
そんな僕の気も知らず、当然のように歩き、背伸びして窓を開ける女の子。
こうして見る分には、とても人形とは思えない。一人の少女だ。
床まで届く、長いスカートを揺らめかせて歩く姿には、愛おしささえ感じる。
だけど、やはり彼女は人形であると、その身体が証明していた。
不自然に凹凸した間接部、作り物の髪、首筋に刻まれた製造番号。
何も語らず、動かずにいれば、それは人形以外の何物でもない。
それがなぜ、突然動き出し、僕の身の回りを世話するようになったのか。
分からない。毎日、毎朝考えているけれど、その答えは一向に掴めずにいる。
「マスター」
いつもの日課に、悶々と悩む僕を、彼女が呼ぶ。
手には蒸したタオル。意図を察し、僕はそっと目を閉じた。
「失礼致しますわ」
言葉の後に、ギシ…と軋むベッドの音。
彼女が片膝を乗せたのだろう。そうしなければ届かないから。
なにせ、僕が寝ているベッドは無駄に大きい。3人は並んで眠れる広さだ。
ただ、隣り合って眠っているのは、両親でも、兄弟でもない。
人形だ。動物や、乗り物の人形。大小問わず、身を寄せ合って。
ベッドの上だけじゃない。窓際にも、机の上にも、観葉植物の隣にも。
所狭しと並ぶ人形達。しかし、彼女と違って、彼らが動くことはない。
普通の人形だ。辛い時に、癒し、慰め、話し相手になってくれる愛玩具。
「………」
繰り返すが、彼女も元々は、彼らの一部に過ぎなかった。
いつの日だったか、お母さんが僕に、誕生日プレゼントとして贈ってくれた物。
唯一の、等身大で、人間の形をした人形だった。すごく嬉しかったのを覚えている。
徴兵を逃れる為に、女性として育てられた僕を、より偽るための道具に過ぎなかったとしても。
僕は人形が好きだし、お母さんが大好きだ。その想いは、今でも変わらない。
「………」
僕は、その人形に、『ソラ』と名前を付けた。
同じ名前。僕と彼女、ふたりとも、『ソラ』。
ソラは、お母さんが編んでくれた服によって、色んな姿になることができた。
お姫様のソラ。パン屋さんのソラ。騎士のソラ。吟遊詩人のソラ。
お化粧をしたり、香水を付けたりして、僕はよりリアルな人形遊びを楽しんだ。
時に、僕が彼女の服のひとつを着て、その姿になりきって遊んだりもした。
お母さんの計らいなのか、その人形は、体格も、髪の色も、僕と同じで。
違うのは、彼女は本当の女の子で、命を持たないということ。それだけだった。
家から出ることを許されず、友達のいなかった僕にとって、彼女は唯一の遊び相手。
朝から晩まで、僕はソラと一緒になって遊び、夜は、ベッドで肩を擦り合わせて眠りについた。
…お母さんが帰らなかった、あの夜の日までは。
「はい、綺麗になりました」
不意に、耳に届いた彼女の声に、ハッとする。
顔を拭いたタオルを腕に掛け、ベッドから降りるソラ。
胸元と頭のリボンを直し、ぺこりと頭を下げ、去っていく。
「朝食を準備して参りますわ」
出入口の扉の前で、再び会釈し、部屋を出る彼女。
僕はそれに対し、お礼も述べなければ、手を振って応えることもしなかった。
…できなかった、とも言える。
あの日以降、僕は、指ひとつ動かすことが不可能になってしまった。
言葉も発せられない。喉元でつかえて、それ以上先に進んでくれない。
できることは、目を開くことと、わずかに口を動かすことくらい。
食事も、お風呂も、トイレも、全て彼女に世話してもらっている状態だ。
ただ、着替えだけは、彼女の腕力の都合上、行うことが難しいので、
常に裸でいることを強制されている。毛布で隠しているとはいえ、ちょっと恥ずかしい。
さておき、彼女が言うに、これは病気の一種らしい。
寂しさを感じると、患ってしまう病気。一種のショック症状。
まるで人形のようになることから、『ドール症候群』と呼ばれているらし
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