硝子之砂

世界は広い。限りなく、どこまでも。
目で見、頭で思い描くよりも、ずっと、ずっと…。

それは誰もが知っている、当たり前のこと。
鳥達が飛び交う空も、草木生い茂る大地も、白波立てる海も。
どれも広大でありながら、世界の、ほんの一部でしかありません。

そして、そこに生きる私達は、もっと小さな存在。
空の、大地の、海の片隅で、ひっそりと今日を生きています。
まるで砂漠の中に落ちた、一欠片の硝子のように。
誰にも見つからず…見つけてもらえぬままにいる、儚い命。

ですが、そんな境遇を嘲笑うかのように。
命は他者を求めます。自分と同じ、硝子の欠片を求めます。
欠片と欠片、繋ぎ合わせれば、またひとつの欠片が出来上がり。
その繋ぎ目が、よりぴったりと合う欠片を求めて。相手を求めて。
私達は、雲を掻き分け、大地を這い、海を泳いで、探しに行きます。

『恋人』という名の欠片を探す旅。
このお話は、その果てを見た、ある魔物のエピローグ。

どうか皆様、腰を下ろして、聞いてください…。

……………

………



彼を見つけた時、彼女は唾液で己が身を濡らしました。
ぼとり、ぼとりと垂れ落ちるそれは、まるでスライムのよう。
砂漠…乾いた大地さえ、吸い切れぬほどに滴る、粘り気ある液。
それほどまでに、彼女は飢え、焦がれ、彼を求めていたのです。

彼女の名は『ムゥ』。サンドウォームと呼ばれる、巨大な砂虫の魔物です。
剛剣も通さぬ堅い外殻、狼さえ怯える真紅の珠瞳、岩をも噛み砕く鋭い歯。
そして、全てを飲み込む無限の胃袋は、一晩で村ひとつを喰らうほどでした。

その獰猛さから付いた二つ名が、『砂漠の掃除屋』。
サンドウォームは、砂漠の民が最も恐れている魔物でした。

しかし、魔王の代替が起こって、300と7年後の今。
それも遠い昔話となり、今のサンドウォームは、私達と変わらない、
夢見がちで、呆れるほどに素直な、恋に恋する純情な乙女となりました。

その中でも、とりわけムゥは、恋愛に対して積極的でした。
彼女はまだ、外殻がミミズのように柔らかな歳の頃から、
自分の想い人を見つけるために、砂の海を掘り進んでいました。

ですが、彼女は妥協を許さない性格で、かつ直感を信じるタイプだったために、
なかなか理想の相手と出会うことが出来ませんでした。時間にして、約80年程です。

つまり、今、彼女はようやく、80年来の夢が叶ったのです。
正確に言えば、叶おうとしていた…でしょうか。正念場はここからです。

心が逸るも、ムゥは一呼吸を置いて、改めて彼を見つめました。
距離にして、10kmほど先でしょうか。人間では点にも見えないオアシス。
その水辺の傍で腰を下ろしている少年の姿が、彼女の目にはハッキリと映っていました。

その愛らしい外見に、思わず見惚れそうになるムゥ。
しかし、彼女はハッと我を取り戻し、慌てて少年の周囲を見渡しました。
狩りにおいて、一番警戒しなければいけないのは、獲物の横取りです。
彼女は、外殻の複眼をぎょろりと動かして、彼を狙う不届き者がいないか警戒しました。

この時、天も彼女に味方をしていたのでしょう。
幸いなことに、この無防備な少年を狙う者は、一人としていませんでした。
邪魔者がいないことを知り、ますますムゥの心が躍り出します。ウキウキ、ワクワク。
彼女はしばらく、彼のことを見つめた後に、そっと瞳を閉じて、砂の中へと潜りました。
彼の下に辿り着くまでに、網膜に、愛しい人の姿を焼き付けておくためです。

恋人の傍まで寄りゆく道のり、彼女は色々なことを考えました。
なんて言葉を掛けよう。どうやって想いを伝えよう。何をしてあげよう。
彼は何が好きだろう。名前はなんていうんだろう。どこの生まれだろう。

これからのこと。彼のこと。彼女は既に、未来を思い描いていました。
輝かしい未来。それを求め、欠片は、もうひとつの欠片へと近付いていきました。

さて、この砂漠の熱さえ霞む彼女の想いに、まったく気付かぬ少年が一人。
彼の名前は『ソラ』。オアシスから少し離れたところの集落に住む、ラクダ飼いの男の子です。
この日、たまたまソラは、祖父に頼まれ、このオアシスへと水を汲みに来ていました。
そこに偶然、ムゥが通り掛かり、彼を見つけたというワケです。運が良いのか、悪いのか。

彼女の接近にまず気付いたのは、彼が乗ってきたラクダでした。
蹄より伝わる振動に、只事ではない何かを感じ取ったラクダは、
のんきに水を汲んでいる主人を置いて、さっさと逃げ出してしまいました。

走り出すラクダに、ソラはすぐに気が付きました。
慌てて水瓶を置いて、ラクダを追い掛けますが、距離は離れるばかり。
どんなに名前を呼んでも、我が身可愛い動物は、逃げる足を止めません。
体力の差は歴然で
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