包々抱々

ああ、これでもう何度目だろう。
水平線の彼方に沈む、赤い星を見送ったのは。

浜辺と呼べるかも疑わしい、小さな砂浜の上で。
僕は尻を付き、呆然と日の入りを見つめていた。
感慨はない。また、哀愁もない。何も思うことなどない。
まるで山奥に隠れ住む仙人のように、僕は無へと近付いていた。

「………」

それもそのはず。ここは山奥よりも更に秘境。
大海原にぷかぷかと浮かぶ、無人の孤島なのだ。
あるものといえば、島の中央に生えたヤシの木ひとつ。
他には何もない。島の端から端までは、10歩でたどり着ける狭さだ。
まさに無。天然の牢獄と呼ぶに、これ以上相応しい場所もないだろう。

「………」

そんなところに、どうして僕がいるのかというと。
結論を言ってしまえば、遭難したのだ。船が襲われた末に。

1週間前…いや、もう2週間前になるのだろうか。
僕は故郷の町より、漁船『黒州丸』に乗って、大海原へと飛び出した。
7人の頼れる仲間と共に、網いっぱいの魚を採ろうと意気込みながら。
いつも通りの沖合い漁。誰も、不安なんてこれっぽっちもなかった。
何処々々のお酒が美味いだの、彼女にビンタされて歯が折れただの…。
そんな他愛無い話を楽しみながら、僕達は海へと網を投げ込んでいた。

でも、そんな日々の繰り返しは、突然断たれた。
仲間達が、ひとり、ふたり、急に海へと跳び込み始めたのだ。
僕は何が起きたのか分からなかった。仲間の叫び声を聞くまでは。
いつの間にか船の縁に腰掛けていた、『唄う怪鳥』の存在に気付くまでは…。

「……ねぇ」

魔物の歌によって、狂い、次々と海へ飛び込んでいく仲間達。
波に揉まれる彼らを攫う、水面より出でるいくつもの影。魚ざるもの。
それは地獄絵図と呼ぶに相応しい光景だった。残るも地獄、降りるも地獄。

だけど、僕はこうして助かった。助かってしまった。
怯える僕の背中を蹴飛ばしてくれた、兄貴分のおかげで。
怪鳥の足に、その身を捕らえられながらも、僕を救ってくれたシド兄。
彼の最後の勇気が、僕を船から落とし、波間に潜む怪魚達からも逃がしてくれた。

「ねぇ」

…思えば、今のこの状況は、あの時に運を使い切ってしまったからだろうか。
怪鳥からはともかく、ひしめく怪魚達から逃れられたのは、幸運としか言いようがない。
そのリターンが、この無人島生活というワケか。笑えない。神様もひどいことをするものだ。

あぁ、早く家に帰りたい。仲間達が無事であってほしい。
そしてまた、酒場に集まって、お酒を飲みつつ、朝まで語り合って…。

「ねぇってば!」

ベチンッ。響く、間の抜けた音。
後頭部を押し出す衝撃。鈍い打撃だ。

振り返らずとも分かる。また魚をぶつけられたのだろう。

「いつまで無視してるのよ! 返事くらいしなさいよっ!」

怒号を背に受けながら、ゆっくりと頭を上げる僕。
言葉は返さない。面倒くさいのもあるけれど、それだけじゃない。
僕は、このキンキンと響く声を聞くたびに、ひとつ、思うことがあるからだ。
それが人恋しさからなのか、あるいは、卑しい下心からなのかは分からない。

「このルッキーニ様が、せっかく魚を届けてあげたっていうのに…!」

…本当に、常々思う。
彼女がもし、人間だったらなぁ…と。

「…何よ、その目。陰湿ね」

振り返った僕の視線を受け、容赦ない毒舌を返してくる女性。
それはアザラシのような毛皮を纏った、なんとも珍妙な魔物だった。

彼女の名はルッキーニ。『セルキー』と呼ばれる、海の魔物の一種だ。
着ぐるみを着込んだような外見と、手に持った銛が特徴的な種族。
本来は、ここよりもっと北の国に生息しているはずのセルキーだが、
はぐれなのだろうか、どうやら彼女は、この近辺に単独で生息しているらしい。
何にせよ、彼女もれっきとした魔物だ。油断すれば、即、頭からガブリだろう。

「お礼くらい言いなさいよ。もう何度、こうして食べ物を届けてあげたと思っているの?」

…が、そのセルキーが、どういうワケか、僕に食料を運んでくるのだ。
それも、遭難した日から毎日のように。ご丁寧に、朝昼晩で3尾ずつ。
からかっているのか、僕を太らせてから食べる気なのか、真意は見えないが、
少なくとも、心許して頭など下げてはいけない。ガブリといかれるに違いない。
魚を食べるのは、彼女が帰った後に…だ。幸い、この魚は生食できる。火いらずである。

「………」

しばし彼女とにらめっこをした後、僕は再び前を見た。
太陽が沈んだことで、薄暗く染まっていく空。星もいくつか瞬き始めている。
夜が来るのだ。何度目かも忘れてしまった夜が。ひとりぼっちの夜が。

「…ちょっと。無視するなって言ってるでしょ」

そんな故郷を思う男の背中を、銛先でつついてくる空気読めず。
痛く
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