君背追者

それは時も色褪せる、遠い遠い過去のお話。
でも、私達にとっては、ほんの瞬きの思い出です。

私達が出会ったのは、二人が初めて目を開いた時でした。
どちらが先に産声をあげ、どちらがそれに驚いたのでしょうね。
生まれたばかりのふたつの命は、大きな声で、わんわん泣きました。
すると、私達のお父さんも、一緒になって泣き出してしまいました。
それを見て笑ったのが、お産婆さんとお母さん。涙を流しながら。
母親となった二人は、生まれたばかりの私達を、優しく抱き締めてくれました。

覚えていますか、あの時の温もりを。あの時のハプニングを。
感極まった貴方のお父さんが、間違えて、私のお母さんに抱き付いたんです。
すかさず私のお父さんが、彼の右頬に鋭いストレートを打ち込みました。
でも、貴方のお父さんは間違いに気付かぬまま、私のお父さんを殴り返しました。
すごい喧嘩となったそうです。お産婆さんがオーガさんでなければ、止められなかったでしょう。

お母さんは、よくこの話をしては苦笑いを浮かべていました。
貴方のお母さんもそうですか? 「お父さん、本当に馬鹿ねえ」って。

でも、二人は最後には、抱き合っておいおい泣いたそうです。
よかったなあ、無事産まれてよかったなあ、って言い合いながら。
本当に、お馬鹿さんですね。これで家族ぐるみの仲にまでなってしまうのですから。

それからしばらくして、私達が立って歩けるようになった頃。
貴方の両親は、貴方を連れて、頻繁に私の家に遊びに来てくれました。
手土産は、決まっていつも狐甘堂のひよこ饅頭。一番大きい32個入。
それを渡す貴方のお父さんの決まり文句が、「お宅の可愛い子にそっくり」。
返事を返す私のお母さんも、いつも通り。「あらあら、娘がこんなにいっぱい」。
玄関を挟んで笑い合う大人達の影で、私達は親の背に隠れ、お互いを窺っていましたね。

覚えていますか、私達二人で、どんなことをして遊んだか。
客間で寛ぐ大人達を尻目に、貴方は私の手を引いて、外に飛び出しました。
歩くことが得意な貴方と違い、その頃の私はまだ、亀より遅いよちよち歩き。
歩みの速い貴方に、私はすぐに音を上げて、休ませてほしいとお願いしました。

でも、小さい頃の貴方は意地悪で。
手を離したと思うと、私を置いて遠くまで行ってしまいました。
小さくなる貴方の背中を、私は必死に追い掛けました。よちよち、よちよち。
すると貴方は、こちらに振り返ったかと思うと、またすぐに走り出しました。
私、気付いていましたよ。あの時、わざと一定の距離を保っていたのでしょう。
本当に意地悪。待って、待ってと泣く私を、遠くから眺めているんですから。
結局、追い付いたのは、日も沈んで家に帰る時間になってからでしたね。

ええ、覚えていますとも。意地悪な貴方。そして、優しい貴方も。
いつまで経っても追い付けず、へとへとになった私をおぶってくれました。
追う側、逃げる側が換わらない、おいかけっことも呼べない私達の遊び。
でも、貴方は満足そうでした。今日も楽しかったなって、べそかく私に言いました。
私、本当は悔しかったのですけれど、鼻をすすりながら、つい頷いてしまいました。
不思議ですね。どうしてあの時、頷いてしまったのでしょう。貴方は本当にずるい人。

だけど、そんな貴方の天下も、私の産毛が生え変わる頃まで。
鶏冠で風を切るようになった私は、いつの間にか貴方を背後に見るようになりました。

お母さんと共に駆ける私を追う、貴方と私のお父さん。
貴方はお父さんに励まされながら、肩を並べて走っていましたね。
その様子を見て、私達はくすくす笑いました。いつぞやのお返しとばかりに。
あの時の貴方は、どんな気持ちでいましたか? きっと、大いに悔しかったことでしょう。

ですが、へばる貴方をからかう私に、お母さんは言いました。
「彼はいつか、貴女を捕まえるわよ」と。微笑みを浮かべながら。
私はその時、お母さんの言葉の意味を、いまいち理解できませんでした。
走ることが得意となった私の足に、彼が二度と追い付けることはないと思っていたからです。

しかし、お母さんの言うことは、いつしか現実となりました。
時が過ぎ、お互いの背が伸びるに連れ、二人の距離が縮まっていったのです。
逃げども、逃げども。貴方は疲れを見せず、私の背中を追い続けました。
傍らで、ひよこ饅頭を食べながら貴方を励ます大人達。更に縮まる距離。

そして、貴方の両足が地面を穿った時、とうとう私は捕まってしまいました。
逃げる背に飛び掛り、抱き付いて、もろとも草むらの中へと転がり込む貴方。
目を回す私を組み伏せ、大いに喜んでいましたね。「やっと捕まえた!」と。
その一言に、私は全身の力が抜けてしまいました。やっぱり、悔しかったです。

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