縛々擁容

大切にされるとは、どのような状態を指すのだろう。
翼を授かる身か、箱に入れられた身か、あるいは…。

「…おはよう」

身を冷ます風を感じ、意識が覚める。

寝惚け眼に刺さる、石天井より漏れる光。
それを遮ろうとした手は、想いに反し、動かない。

「………」

乾いた空気。呼吸をする度に咽がひりつく。
熱気は肌を焼くようで、しかし、そよぐ風は氷のよう。

それは、この砂漠という気候のせいだ。
光あるところは灼熱に、影あるところは極寒に。
僕の身体は今、そのふたつの温度差に悩まされている。
板挟みは嫌いだ。どちらかに逃げたい。けれど、身体は動かない。

「…ねえ」

ふと、僕の手を握るもの。声を掛けながら。
柔らかく、温かな感触。光でも影でもない。

「おはよう…」

視線を動かし、見ると…それは女性だった。
綺麗な人。日に輝く砂塵の髪、宝玉のような瞳を携えた…。

ああ、この人が僕を食べるんだ。

「…ふふっ
#9829;」

挨拶を返すと、彼女は満足そうな微笑みを浮かべた。
握っていた手を離し、再び日の光が差し込む遺跡の中を進み始める。

そう、彼女は僕を喰らうもの。
そして僕は生贄だ。この遺跡に住まう魔を鎮めるための。
何年…何百年と続く、僕達、砂漠の民のならわし。掟。
逆らうことはないし、そもそも、逆らうことは許されない。
そうすれば、魔が僕達一族を全て喰らってしまうと長は言っていた。
だから僕は逆らわない。ならわしにも、彼女にも。逆らえない。

「………」

僕を抱えながら、足音も立てず、砂と石畳の道をするすると進む魔物。
何故だろうと思い、彼女の下半身を見ると…なるほど、納得だ。
この魔物には足がなく、代わりに蛇の尾が生えているのだ。大蛇の尾が。
その禍々しい身体は、まさに魔と呼ぶに相応しい。人を喰らうに相応しい。

でも、禍々しさにおいては、今の僕も同じだろう。
全身に刻まれた刺青。長曰く、魂の力を引き出すための刻印。
魔はその力を喰らうことで、満足を得、再び眠りに付くと云う。
しかし、力を得るための代償は安くない。おかげで僕は、全身麻痺の状態だ。
自由に動かせるのは、目と口ぐらいのもの。他はどれだけの根気が必要となるのか。

「………」

とはいえ、例え動かせたところで、僕に逃げ場はない。
皆の下に逃げ帰ろうとも、彼女は全てを喰らう力を持っている。
他に頼れる人もいなければ、一人で生き延びられる力も無い。
僕の行き場所は、結局はこの魔物の腕の中だけなのだ。

「………」

けれど、考えようによっては、幸せとも言えるんじゃないだろうか。
魔物っていうのは、もっとこう…恐ろしい姿なんだと思っていたから。
こんな綺麗なお姉さんと知っていたら、もっとおめかししていたさ。
布一枚を身体に巻くだけじゃなく、お化粧とか、首飾りとか…。

食べられてしまえば、それも全ては無駄になるけれど。

「………」

…それにしても、彼女はどこに向かっているのだろう。
僕はてっきり、寝かされた祭壇で最後を迎えるものと思っていた。
その方が良かった。痛みと恐怖を感じぬままに、全て終わるのだから。
これから起こることに対し、僕はどれほどまでに声を抑えていられるだろう。

「………」

溜め息を一つ、魔物らしからぬ細い腕に身を預け、空を見る。
崩れた石壁から見える、真っ青な空。時折、白い雲が顔を覗かせて。

彼らはなんて自由なんだろう。
行く先も決めぬまま、ふわふわと泳ぐ雲。
その姿を、指一本動かせない僕が見上げている。

雲と僕。ふたつの対比は、なんとも滑稽で…。

「…あっ」

不意に、空を切り取った穴から何かがこぼれ落ち、僕の頬を打った。

砂。風に流されたのだろうか、落ちてきたのは少しの砂粒だった。
幸い、目に入ることもなく、それらは僕の頬に弾かれ散っていった。
不幸があるとするならば、ちょっとむず痒さが残ったことぐらいだ。

「いけない…」

しかし、どういう訳だろう、それは魔物にとっては一大事だったらしく。
彼女は胸元から布切れを取り出し、砂粒が触れた部分を丁寧に拭い始めた。

その行動に、僕は少し驚いた。あまりにも人間くさくて。
潔癖症じゃあるまいに、魔物がこんなことをするなんて思いもしなかった。
あるいは、僕を食べる際、砂粒が口の中に入らないようにするためだろうか。
それならば納得できる。ジャリジャリとした干し肉のまずさは、僕も知っているから。

「………」

僕の考えは、果たして正しいのか、それとも見当違いもいいところか。
答えを見せぬまま、ひたすらに僕の顔を拭う魔物。小さな身体を抱きながら。
口に含み、唾液で湿らせた布の先端で、汚れた頬を何度も撫でる二本の指。
まるで宝物を磨くかのように、慎重に、執拗に。汚れが消えても、ずっと
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