男はとても退屈していた。
恐ろしい化けモンが出ると聞いて、今では誰も住み着かなくなった、しかしどこか古ぼけた様子を感じさせないこの屋敷に殴り込んできたのだ。文字通り扉を蹴破ってやったが誰も怒鳴ってくることがなければ化けモンもどこにも見当たらず生き物の気配もない。
こりゃあとんだ期待外れだ
歳は34になったが、今ではこの辺境の村で男を畏れぬ者はおらず、暴れようが威張り散らそうが誰も歯向かおうという男気のあるものは残っておらんかった。かといって乱暴者どもで徒党を組もうという気もない。何人か下っ端にしてくれとか喚きながら訪ねてきた輩がいたが、根性が足りんわとばかりに一喝したらその剣幕に尻尾巻いて慌てて逃げていった。
そのうち村の中では男の興味を引く事柄も尽きようかといった所で、ろくに働きもせずに腹が減ったら村の食いモンを勝手に頂戴しては食いつなぐ毎日にも飽き飽きしていたのだ。
そんなところにこの話だ。そりゃもう喜び勇まんとばかりに村の奥山の奥まですっとんできた。ところがこの仕打ちはなんだ!
なんにも面白いことなんてありゃしない。帰ったらこの話を寄越した嘘吐き共をとっちめてやろう!
「帰ったら……か」
男は自分のその考えにやるせないものを感じて一人嗤った。
どのみち身寄りの者もおらん。帰るべき家もない。一体どこに帰る必要があろうか!
そんなことを考えては苛々と握った手燭を振り回していたら火がふっ、とゆらめき消えてしまった。ええい、忌々しい!
屋敷の中は薄暗く、外ではそろそろ日も沈もうかといった頃合いだろう。今晩はこの屋敷をねぐらにするとしよう。
「いや、待てよ。このまま屋敷に住みついちまえばいい」
手燭に再び火を灯すのと合わせたかのように男に名案が浮かんだ。
幸いこの屋敷は広く、もう持ち主もわからんような家具が整っている。化けモンみたいに畏れられた男が棲み処にするには御誂え向きじゃあないか。なぁに、腹が減ったなら村に降りて食いモンをかっぱらっちまえばいい。
嘘から出た実(まこと)とはうまい言葉もあったものだ。
――かさり、かさり――。
男が一人感心していると後ろの戸から何やら擦れるような物音がかすかに聞こえてきた。
「誰だ!」
とうとう出てくれたか、待たせおって! と湧き上がる嬉しさを隠しきれずに手燭を向けながら振り向いたが、戸が開けられた様子はなかった。ところがよぉく眼を凝らしてみると閉まった戸の隙間からひら、ひら、と白い布が揺れ動いているのが見て取れた。
「お前さん、ただの布じゃあないな」
生の気配を感じられぬ布はただ挟まって風に揺られているだけにも見えるがそうではないとわかる、手燭の火が揺らめいていないのが何よりの証だ。
問いかけにも答える気配はないが、間違いなく妖の類だろう。しかし布が相手では力比べもできまい。とんだはずれだ。
男が考えをめぐらせている間に白い布はするすると戸の隙間からその身を抜き晒していた。人を丸々包めそうな大きさだ。と――
「ほう……」
思わず男の口から感嘆の声がこぼれた。
化け布がやわやわと蠢いたと思えばあっという間にその身に女体を浮かび上がらせてみせたのだ。手燭の灯りに照らされ起伏が暴かれたその肢体はひどく艶めかしい。
だが化け布は無表情をかたどったままその身を悩ましげにくねらせてみせるばかりで一向に近寄って襲ってこようとはしない。
これは、この俺を誘惑しようとしているのか。しかしそうも無表情では警戒して誰も飛びかかることはあるまい。ん?
「なんだお前さん、火が怖いのか」
これみよがしに手燭を振ってみると化け布はその身を先より激しくのたうってみせた。
相変わらず無表情だが、今度の舞いは誘惑ではなかろう。この俺より手燭に怯えるとは、けしからん化けモン、いや化け布もいたものだ。
しかし、この布は一体どうしたものだろうか。手燭で追い回して屋敷から追い出してやろうか? 火がないと襲ってかかりそうな相手を共にしてはおちおち枕を高くして寝られまい。
「ん?」
と、これでは誘惑できないと諦めたのかその化け布は揺らしていた肢体を静止し、どうやったのかその表面に細かな文字を浮かび上がらせてみせた。それだけで女を思わせるような細い、整った文字だ。
(いらっしゃいませ、旦那様。あなた様のような方がこの屋敷に来られこの私を妻に迎えてくださるのを心よりお待ちしておりました。)
なるほど、無人の屋敷がやけに整っていたわけだ。それこそ化けモン屋敷だったわけだが。
(旦那様に危害を加えるようなことはありません。どうかその火を離し、妻のささやかな奉仕を受け入れてくださいませ。その荒々しい肉体を余すところなく私の身で包み、抱擁し、火
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