唐傘紅葉模様

「よいしょっと」
松吉(まつきち)は農具を倉に置いた。
慣れているとはいえやはり畑仕事は重労働である、肩や首をぐりぐり回して松吉は体をほぐす。
ここで一息つきたいところだが、まだまだ今日やるべき事は終わっていない。
母に昼を作ってやらねばならないし、その昼飯が済んだら隣の勘兵衛じいさんの家の修繕を手伝ってやらねばならない、勘兵衛もいい加減年なので高い場所の作業を一人で任せては危ない。
「よっしゃ、もう一頑張りじゃ」
そう言って松吉は汗を拭った。
松吉が一日にこなす仕事は多い、この村は作物もあまり採れない痩せた土地にあるためいつも生活に余裕が無い。
そんな環境なものだから年頃になった若者達はすぐに出て行ってしまう。松吉が年のいった両親から生まれた時には既に村に若い者は見かけなかった。
両親は松吉に「この村の事は捨てて構わない、自分の為に生きろ」と言ったが松吉は村に残される老いた両親や村人の事を思ってここに残ることを選んだ、よって唯一の若い男手である松吉は村の支えとして重要な役割を担っているのだった。







 「ん、雨か……」
午後になって曇天の空からぽつぽつと雨粒が降り注ぎ始めた。
松吉は背に差していた番傘を取り出した。そこらじゅうにつぎはぎがしてある傘だが骨組みがしっかりしており、よく手入れがされてあるのでまだまだ現役という感じだ。むしろつぎはぎが模様のようになっている所が松吉の気に入っている所でもある。
この傘はとある商人に無料で譲ってもらったものだ。
滅多に人の訪れない村だが、昔一度夜の山道に迷った商人が助けを求めて松吉の家の戸を叩いた事があったのだ。
松吉の父はその商人を家に迎え入れて簡素ながら食事を振る舞い、一泊させた後に道を案内してやったのだ。
商人は大層感謝し、お礼に売り物である傘を譲ってくれたのだった。
松吉はぱん、とその傘を開いて畑から家への帰り道を歩き出した。
「この村さオラが村さ〜♪金なかと、銀なかと、よかんべや♪よかんべや〜♪」
機嫌良さげに小声で歌い始める。
小さな頃にこの傘を父から貰った時、松吉はそれはもう目を輝かせて喜んだ。
しっかりとした造りとその色合いには松吉が今まで目にしたことのない「華」があった、雨が降ったなら用事も無いのに外に飛び出して傘をさしたりしたものだ。
そしてその気持ちは今でも残っている、普通なら憂鬱になる雨の帰り道でもこの傘をさして歩けばちょっと気取った気分になれるのだ。
ごうっ
「おおっと」
と、強い突風が雨と共に吹き、松吉の手から傘をもぎ取ろうとした。松吉は慌てて傘を握り直す。
しかし風はしだいにびゅうびゅうと強さを増してきた、その風に煽られて傘の骨がギシギシと鳴る。
「こりゃいかん」
このままでは傘が壊れてしまうと思った松吉は自分が濡れるのも構わず傘を閉じて胸に抱いた。
本末転倒ではあるが傘の骨組みが壊れてしまったら自分の手で元通りに直してやることはできない、松吉にとって体が濡れるよりもその事の方が重大だった。
頭を低くして松吉は走った。その体に勢いを増した風と雨がぶつかってくる。ゴロゴロと雷の音までし始めた。
(うへっ、こりゃ参った、どこか雨宿り出来る場所があれば……)
と、丁度その視界に小さなお堂が入った。
山道の脇にあるそのお堂は松吉が物心ついた時からずっとあったもので何を祀っているのかは松吉も村の大人たちも知らない事だった。
ただ、松吉は祀ってあるものが何であれ粗末に扱ってはいけないだろうと考え、前を通る度に掃除をしたり拝んだり時にはお供え物をしたりもしていた。
だからという訳ではないが松吉はそのお堂の中で雨宿りをさせて貰うことにした。
「すんまへん、雨が止むまでの間ちいとだけお邪魔させて下せえ」
そう言って手を合わせた後、松吉はお堂に入った。
ばたん、と扉を閉じると外の雨音が遠くなり、静けさが周囲を包んだ。
堂内は松吉の掃除の甲斐あって蜘蛛の巣が張るでもなく、比較的綺麗だった。
しかしこんなに薄暗い時に入ったのは初めてなのでいつもとまるで雰囲気が違うように感じる。
その薄暗い中で松吉は外の雨の様子を伺いながら腰の手ぬぐいで濡れた体を拭き、次に傘を開いて調べた。
「壊れてねえだか……?」
調べてみてもどうやら壊れた所はないようだった、松吉はほっと胸を撫で下ろす。
ふにゃっ
「……う、ん?」
と、松吉の手に何か柔らかな感触が触れた。
驚いて手元を見るが手には傘があるだけだ、今のがまさか傘の感触という事はあるまい。
「……?」
では今のは一体何だったのかと傘を手の中でくるくる回して眺めている時だった。
「……っ……っ……っ……」
微かだが、何か声が聞こえた。最初は雨音か外の動物の鳴き声かと思ったのだが、その声は明らかにお堂の中に響いているように聞こえる。

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