陥落記

宗教国家レスカティエ教国の陥落、それはあらゆる意味で大きな出来事だった。
教団の中でも二番目と目される戦力を持った国の陥落は主神と魔王の勢力図に大きな影響を与え、実質この出来事を境に魔界の侵略が加速する事になる。
そしてこの一幕は魔物側から明確な意図を持って行われた初めての大規模な侵略だった。
今まで行われて来た侵略というのは個人単位での遭遇から発展したケースや人間側からの攻撃に対する反応としての侵略が大半だった。
野生の魔物達は組織立った行動を取る事は少なく、魔王軍にしても侵略よりも個々の幸福の追求を重視する風潮があり、いまいち任務に熱心とは言い難いかった。
しかしそんな中に現れた魔王の娘であるデルエラは違った。
彼女は夫が欲しいからという理由でもなく気紛れでもなく、一つの国の陥落を明確な目標に掲げて侵攻した初めての魔物だった。
結果として教団は思い知らされることになる、人間と魔物の戦力の違いを。
その実力の違いは陥落の際に発生した死傷者の数においてはっきりと現れている。
両軍共にほぼ0。
これは人間を夫か同族にしようという魔王軍の意図通りに事態が推移した事を示している。
ただ殺すよりも難しい捕縛をここまで大規模かつ完璧に遂行できたのは一重にデルエラの統率力と周到さによるものであると言える。
しかしながらその侵略が如何にして行われたのかという詳細な記録は残されておらず、全貌を掴む事は難しい。
断片的な情報や当時の証言を順序立てて並べて行く事でようやくおぼろげに全容が浮かび上がってくるのである。







 侵略前日〜06:30〜
  
  南東結界堂

  神父 ローハイ・コストム

 (これは奇妙な……)
ローハイはいつものように朝の祈りを捧げようと訪れた結界堂で首を傾げていた。
祭壇にはいつも花が供えられている、経験上一週間程度で代え時なのだが供えられている花はかれこれ三週間も新鮮なままだ。
その上、花瓶に挿した当初は真っ白だった花弁が少しずつ赤く変色していっている様子なのだ。いつも同じ花壇から摘んで来る花なので品種が違うという事は無い筈だ。
(もしや不吉な予兆か……?)
ローハイは祭壇の中央に据えられている結界石を見つめる。
この結界石はレスカティエの中央部から市街地に至る範囲の要所要所に荘厳な教会と共に設置されているものだ。これによってレスカティエは全体を大きな結界に覆われているのと同じ状態を保っている。
勇者の輩出国であると同時に前線にて魔物の侵略を妨げる堅牢な拠点としての役割を果たすレスカティエの生命線とも言える施設なのだ。
しかし観察する限り結界石はいつもと変わらず清浄な気を放っており、異常があるようには見受けられない。
(……花壇に違う品種が混じっていたのだろうか?……恐らくはそうか)
神父ローハイはそう考えて疑う事を止めた。
本当はこの時にもっと疑うべきだったのだが、人間は誰しも環境に慣れるものだ。
数百年にわたってこの結界に守られ続けるうちいつしか無意識に「この結界が破れることなどありえない」という先入観をもってしまっていたのだ。
それは人間の習性のようなものであり、この神父、ローハイが浅慮であると責めるのは酷というものだろう。
「……どうかなさったのですか?神父様」
聖堂の入り口から掛けられた声に振り返ると一人の町娘が立っていた。
数ヶ月前より足しげくこの結界堂に通って祈りを捧げている若者にしては珍しく信心深い娘だ。名はラファンというらしい。
「……ああ、いえ、なんでもありませんよ、今日もお祈りですか?」
「はい……この街を護って下さっている場所なのですから感謝を捧げるのは当然の事だと思います」
ローハイは思わず顔を綻ばせる。
「よい心掛けです、感謝を忘れない心は得難きもの、神もきっと貴方の行いを喜ばれるでしょう」
「……うふふっ」
ラファンはローハイの言葉に微笑みを浮かべる。
美しい娘だ、三つ編みに結われた髪は金の糸のようで。その髪に彩られた顔は素朴ながらも愛嬌があり、城で見掛ける着飾った婦人達よりも余程魅力的に見える。
ラファンはそっと祭壇の前に歩み寄ると膝を折り、祈りを捧げ始める。
そうして膝まづいている所をよく観察して見ると簡素な服に包まれた肢体は思いの他発育が良いようだ。
(……!私は何を考えているのか……祈りを捧げる者を見て邪な思いを抱くなど……神よお許しを……!)
ローハイはきつく目を閉じて自戒する。神に身を捧げた者としてあるまじき考えだった。
普段のローハイならばそんな事は考えない筈なのだが、ラファンに対してだけは何故か意識を引かれてしまう所があるのだ。
目を閉じていたローハイは気付かない、ラファンが祈りを捧げた瞬間、結界石の輝きが微かに弱まっている事に。
供えられている花の
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