一人暮らし用の狭い和室には奇妙な沈黙が漂っていた。
ちゃぶ台の横で畳にべったりと張り付くようにうつ伏せに伸びている女性、その前に困り顔で座っている男、恐らく第三者がこの場に居合わせてもどういう状況なのかさっぱりわからないであろう。
「・・・何故だっっ!!」
沈黙を破ったのは女、隆二の方だった、がばっと顔だけを上げる。
「何でも何もあるか!何でお前とせにゃならんのだ!大体男は受け付けないってさっき言ってたろうが!?」
「お前ならいけそうな気がするんだよ!」
「お前がいけても俺は・・・!」
ドンドンッ
その時、和室の壁が叩かれる音が響き、二人は口に手を当てて黙り込む。
智樹がこのアパートを選んだ最大の理由は家賃の安さである、よって壁は薄く、大声で言い合いでもしようものなら隣に声が丸聞こえになるのだ。
何となく冷静になった二人はちゃぶ台に戻り、今一度向かい合って座る。
隆二は缶に残っていた酒を飲み干し、智樹は柿ピーをぽりぽりと口に運ぶ。
「・・・もうちょっといいとこに越そうぜ」
「・・・ほっとけ」
「こんなんじゃ落ち着いてできないじゃん」
「し・な・い!・・・っつーの・・・」
思わず声のトーンを上げそうになって途中で小声になる。
「いいじゃんか、童貞捨てるいい機会だぜ?」
「お前相手に欲情できるか」
「さっきからちらちらと乳見てるくせに」
「そっ・・・それは男の条件反射であってお前に欲情してる訳じゃない」
「ふーん」
隆二はちゃぶ台に頬杖をついて智樹をじっと見る。
「・・・何だよ」
「じゃあさ・・・」
頬杖を外して指を組み、その上に顎を乗せて上目使いになる。
「俺の事、隆二(りゅうじ)じゃなくて隆子(りゅうこ)って女だって考えたらいいんじゃない?」
「・・・」
智樹はぽかん、となってしまう。
ほんの一瞬だが、目の前の女が見知らぬ美人に見えたのだ。
慌てて頭を振り、今しがたの感覚を否定する。
(落ち付け!こいつは隆二!隆二だ!)
「な、なーに言ってんだ、何が「隆子」だよ気持ち悪ぃ」
「いやいやこれはホント、演技じゃなくて女になった時から俺の中に「隆子」がいるんだよね」
「意味わかんねぇ」
「何て言うかね、「隆二」の俺はもちろん変わらないんだけど、女になって以来「隆子」が俺の中に生まれたんだよ、二重人格とかじゃなくて「俺」も「隆子」もどっちも違和感なく自分なんだけどな」
「・・・はァ」
「それでな、どうも「隆子」はお前じゃないと欲情できないっぽい」
「・・・は?欲情?俺に?」
「うん」
隆二はにっこり笑う。
(・・・ほんとに隆二だよな?)
今まで隆二だと判別できたのは容姿に面影がある事もあったが、何より隆二が男の頃と全く変わらない振る舞いをしていたからだ。
しかし今目の前で自分に熱っぽい視線を送りながら微笑む女はどう見ても隆二と重ならない、ついさっきまで見知った人間だと思っていた相手が急に知らない人間に変貌したように感じ、智樹は困惑する。
(こいつがつまり・・・「隆子」?)
「ね、だからさ・・・」
女性にしては低い、しかし男の頃に比べるとやはり少し高くなった声で囁き、「隆子」はそっと自然な動作で智樹に近寄る、智樹は隆子の放つ奇妙で妖艶な雰囲気に呑まれてぼんやりしている。
「布団を敷こう、なっ」
キラッと白い歯を光らせる。
「・・・」
一瞬の沈黙の後、智樹は弾かれたように隆二から離れる。
「いやいやいや隆二じゃん!やっぱ隆二じゃん!」
「あ、いかん、つい女を口説く要領で・・・」
「しねえからな!ぜってぇしねぇ!」
追い詰められたお姫様よろしく部屋の隅にまでずりずりと後退する智樹。
「ちぇー、意固地になっちゃって」
隆二は口を尖らせると部屋の隅で警戒している智樹に背を向ける。
「ちょっと風呂借りていい?帰ってから入ってないし」
「・・・へ?あ、ああ、いいぞ」
意表をつかれた智樹がきょとんとしながら言うと隆二はくるっと顔だけをこちらに向け、にやりと笑みを見せるとするするとシャツをめくり上げ始めた。
砂時計の様に括れた腰が露わになっていく、どうやら男の頃のよりもウェストがかなり細くなったらしくジーンズがずり落ちてしまっており、日に焼けた小麦色の肌と下着に守られていた白い肌の境目のラインが臀部に見え、非常に扇情的な光景になっている。
腰が露出してもシャツをめくり上げる手は止まらず、背後からでも伺える程の膨らみの下まで到達する・・・かと言う時、隆二の頭めがけてティッシュ箱が投げつけられ、隆二はひょいと頭を下げてそれを避ける。
「洗面所で脱げ馬鹿!」
「わははははは」
智樹の怒声を背に受け、隆二は笑いながら洗面所に退散して行った。
「あんなん反則だちくしょう・・・」
智樹は呟くと悲しい性に逆らえずに反応している愚息を見下ろして深々と溜息をついた。
[3]
次へ
[7]
TOP [9]
目次[0]
投票 [*]
感想[#]
メール登録