過去

 大きく、清潔なベッド。
暖色系の抑えられた灯り。
遮断魔法による静けさ。
想像ではもっとけばけばしい雰囲気かと思っていたが、意外と落ち着いたものなのだと二人は知った。
何しろ街中で見かけても利用する機会などなかったのだから。
「……」
「……」
そんな用途丸出しの大きなベッドの上で、湯上りの薄着のまま二人は並んで座って黙り込んでいる。
有無を言わさず部屋に放り込まれてから一言も交わしていない。
「……」
ちら、とディムはトエントに視線を向ける。
魔物娘は異性の容姿を人間ほど重視する事はないが。
それでも醜美の感覚は人間と同じく持ち合わせている。
本当にきれいな顔をしている。
戦場の前線に立っているより、社交パーティーで笑顔を振りまいて女性達の視線を独り占めにしているのが似合いそうだ。
首から下の鍛え抜かれた肉体とはいっそ不釣り合いに見える。
「すぅ」
と、そのトエントの逞しい胸板が大きく動いた。
「はぁ」
まるで戦場に向かう前に精神統一を図っているようだ。
そうして大きな呼吸を数度繰り返してから、ディムに顔を向けた。
流石歴戦の戦士といったところか、その表情には冷静さが戻っている、頬の赤みは引いていないが。
「正直に言おう」
「は、はい」
「笑うなら笑ってくれ」
「こ、この状況で何を笑えと」
「俺は童貞だ」
「……え、あ……え?へ?……」
ディムは一瞬何を言われたのか理解できないという顔をした。
どうてい
ドウテイ
ドウ・テイ?
「どうてい?」
思わずオウム返しにすると冷静さを保っていたトエントの端正な顔がくしゃりと崩れ、くるりと背を向けてしまった。
首筋から耳にかけて先程とは別の理由で真っ赤だ。
対してディムはあらゆる感情が脳内を駆け巡っていた。
信じられない、という気持ちと、そして……。
いや、それより今はフォローを……。
「と、トエント殿、そういうのは早ければいいというものでは……」
言っておいてフォローになってない事に気付く。
今の容姿は若いが、トエントは老境に入る年齢なのだ。
「失望しただろう……墓まで持って行くつもりだったが……」
いよいよ背が丸まって、その逞しい背中がどんどん小さくなっていく。
その背にディムはそっと手を置く、薄衣と皮膚の下にうねる筋肉を感じる。
じぃん、とディムの脳髄が痺れる。
「考えて見ると、私達は命のやり取りをしても、互いの事をまるで知りませんね」
「……」
慈しむようにディムの手が背を撫でる。
やがてトエントが振り返った。
やはりその美しい顔は真っ赤で、眉は八の字に寄って恥ずかしそうにしている。
かわいい。
不敬かもしれないが、ディムは思わずそう感じる。
「少し、話をしませんか、お互いの」
ディムは背に手をそえたまま囁くように言う。
「う、む……今まで機会はあった、が、その……それよりも修練に忙しくてな……」
「剣一筋だったのですね」
「そんな大層なものではない……人斬りに取り憑かれていただけだ……あの頃は」
声の温度が下がる。
「それに、俺の血筋を目的に近付く女も多かった」
「……」
トエントの生まれは軍人ではなく、貴族の出であるというのは聞いた事があった。
本来は前線に立つような身分の人間ではない、と。
「俺は血筋など捨てたつもりであったが、それでも出生が変わる訳ではない」
「どこからかその噂を嗅ぎつけた者が上と繋がりを築こうとするのも不思議はないが……」
「当時はそれに辟易していてな……」
人に話す事のなかった内情を、トエントは詳らかにしていく。
背に添えられたディムの手に押されるように。
あるいはその背に感じる手の感触が、普通の女性の手で無い事がそうさせたのかもしれない。
しなやかでありながら、明らかに硬質な感触の指と掌。
数え切れない程剣を振り続けた手。
戦場で、汚した手。
「ディム殿は……人間の頃は、何を……?どうやって魔物に……?」
自然に、知りたいと思った。
「農民の娘でしたよ、七人兄弟の長女」
懐かしそうに言う。
「ただ、村が戦火に巻き込まれて……家も畑も焼け落ちてしまい、家族も散り散りになりました」
「……家族は……」
「恐らくその時に亡くなったか……もし、仮に生き延びていても再会する事はないでしょう、もう、かなりの年月が経っていますから」
想定以上の重い過去に、トエントは言葉を詰まらせる。
「そうなると、年端も行かぬ女が一人生きるには身体を売るぐらいしかなかったんですが……色々、出会いに恵まれましてね、いや、いい出会いだったかどうかはわかりませんが……」
「剣の腕を見込まれて、傭兵として色々な所を転々と……とにかく食うのでいっぱいいっぱいでしたね」
「……」
軽い口調で語るが、とても言い表せないほどの苦難だった事は想像に難くない。
「しかしまあ、悪運尽きたりというか
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