二人が命のやり取りの約束をしてから、季節が一巡りした。
温かな陽気に街の雰囲気も華やぐ季節だが、その日の朝は雨雲に覆われた暗い朝だった。
しかしその雨も冬のように芯から冷える雨ではない。
芽吹き始めた新緑の匂いの混ざる優しい雨だった。
一人の青年がその雨の街を歩いている。
人目を引く青年だった。
簡易な装備と鞘に収まった剣を見れば、街の警備の者と言えなくもない。
しかし、警備というにはその剣のサイズは少々物々しい。
また、雨にも関わらず雨具の類を一つも身に着けていないその青年は頭から爪先まで濡れている。
そしてそれを気にした風でもなく、ぴしゃぴしゃと雨を歩く。
何より目を引くのがその容姿だった。
状況も合わせて月並みな表現だが、水も滴るという表現がまさに的を射ている。
長い金の髪もあって女と見まごう豪奢な顔立ち。
大きな瞳に長い睫毛、通った鼻筋に厚めの唇は、ともすれば性別の垣根を超えた妖しさすら漂わせている。
しかし、時折すれ違う住人達はその容姿に目を奪われながらも、声を掛けたり近寄ろうとしはしない。
身に纏う空気が人を寄せ付けない。
当人は凄んでいる訳でもない、むしろ穏やかな表情をしている。
それでも近寄ってはならない、関わってはならない。
そう肌に訴える何かが青年の周囲に張り詰めている。
この街の住人は知るよしもないが、当時を知る人間が見たなら驚いたであろう。
誰もが振り返る美貌、その美しさに見合わぬ不穏な空気。
血で血を洗う時代を生きた「暴風の騎士」トエント・オルエンド全盛の姿がそこにあった。
ぱしゃ、ぱしゃ、ぱしゃ
水を踏みながら、雨を浴びながら、トエントは物思いに耽る。
目的が変わったのはいつだったか。
当初、トエントの目的は介錯をしてもらう事だった。
死ぬべき時に死ねなかった自分を、あの時代を知る戦士に終わらせて貰う事。
それがどうだ、今の自分は。
浮き立つ心は、全身に満ちる高揚は。
斬り甲斐を求めた戦場で、自分が命を賭すに足る相手をずっと求め続けていた。
その求めていた相手に出会ったのだ、皮肉にも、こんな時代に。
最早死は目的では無くなっていた、死はただの結果に過ぎない。
今はもう、ただ。
ディムに会いたい。
会って、斬り合いたい。
命懸けで心を通わせたい。
こんなにも一人の人間の事で頭を一杯にした事は無かった。
ようやく、ようやく機が熟したのだ。
今の自分に出来る最高の自分に仕上がったのだ。
トエントは雨を受けながら、一歩一歩踏みしめるように街を歩く。
街の中心を離れ、郊外に差し掛かる。
道の塗装が荒くなり、足元が泥で汚れていく。
不意に道を外れて草地に足を踏み入れる。
街を見下ろすひときわ高い丘の上。そこが待ち合わせ場所だ。
雨音が建造物を打つぱちぱちした硬質な音から、植物に弾かれるざあざあという柔らかな音に変わる。
ぐっと植物の匂いが濃くなる。
芽吹き始めた新芽の、力強く爽やかな匂い。
それを胸一杯に吸い込みながら足を進める。
やがて、一際大きな木の麓に辿り着いた。
なだらかな丘からは雨にくすぶる街が一望できる。
死に場所は本来、どこでもよかった。
選ぶものでも無く、死んだらそこが死に場所だ。
だがあえてそれを選ぶ事が出来るならば、石ではなく土の上で死にたい、見晴らしのいい場所ならもっといい。
と、自分と反対方向から丘を登って来る人影が見えた。
雨具の類も持たず、自分と同じように雨に濡れるままに歩いて来る。
見間違えようもない、その姿。
来てくれた。
不意に、トエントは涙が出そうになった。
出会ってからたった一年間だ。
なおかつ、碌に顔も合わせていない。
だのに、何十年間ずっと焦がれ続けていた人に会えたような、そんな心地がする。
近付くにつれ、雨にけぶっていたその姿が鮮明になる。
自分と同じような軽装に、腰に二つ差された剣……。
そこで、今までと大きく印象が違う事に気付いた。
最初は何かわからなかったが、はっきりと姿が見えるようになってわかった。
その濡れた黒髪は短くなっていた。
以前は腰に届くまで長かった髪が、今は肩口に揃うくらいに短い。
きちんと切り揃えられているのではなく、まとめてざっくりと切り落としたように多少不揃いになっている。
少し痩せたようにも見える。
いや、実際には身体つきは変わっていないのかもしれない。
その身に着けている使い込まれた装備と、全身から放つ何とも言えない威圧感がそう見せるのかもしれない。
以前には纏っていなかった空気。
自分と同じように、人を寄せ付けない空間。
トエントは直観した。
あの姿こそは、ディムのかつての姿。
血で血を洗う時代を生き抜いたディムの姿なのだと。
目が合った。
いや、目視できるようになっただけで、ずっと互いに見つめ合っていた。
トエントは
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