死ぬ時は天使様が迎えに来るんだと聞いた事があった。
ミヴァンは信じていなかった。
貧民街の路地で日々を盗みで食い繋ぐ子供である彼は、そんな御伽話を信じれるほど純真になれなかった。
だけど今、彼は信じた。
実際目の前にしたなら、信じる他なかった。
・
・
・
いくつかの不運が重なった結果だった。
事の他寒い日が続いた事、寝床の確保に失敗した事、食べ物が尽きた事……。
最低限の保護を得られない子供達にとって、不運は容易く死に繋がる。
ミヴァンはその不運に捉えられた結果、雪の降り積もる薄暗い路地の片隅でぼろきれにくるまりながらその短い生涯を終えようとしていた。
そこで、天使を見たのだ。
確かに、霞む視界に薄っすらと輝く天使を。
(……天使様……?)
紛れもなく天使だ。
背には大きく広がる純白の翼。
その翼を照らす神々しい後光。
天上の者にしか有り得ない人間離れした美貌。
このうらびれた場所にあり得ない儀式的で豪奢な鎧。
だが、それはミヴァンの想像とは違った。
彼の想像する天使は慈悲と慈愛を司る神の御使い。
この今際に自分の前に現れたという事は、生まれてから何も与えられなかった哀れな自分を優しく天に導いてくれる存在であるはずだった。
だが、今ミヴァンの目の前に降臨した天使の印象は、一言で表すならば「氷」
血の気が通っているとは思えない、純白を通り越して青白い肌。
蒼を基調とした兜から溢れる豊かな髪は、曇天を思わせる薄い灰色。
薄く開かれた切れ長な目は、文字通りに氷のようなアイスブルー。
その瞳から発される鈍い眼光は、今もミヴァンを死に追いやろうとしている冬の外気と同様かそれ以上に冷たい。
(もしかして……)
既に朦朧とした意識の中で思う。
天使は天使でも、自分を地獄へしょっ引くために遣わされたのでは?
考えてみれば天使に迎えて貰えるほど自分は善行を積んだ覚えはない。
いや、悪行に染まり切っていたと言える。
だがそれで地獄行きはあんまりではないだろうか。
自分は確かに盗みを働いたが、それ以外に生きる道などなかった。
神は黙って境遇を受け入れて飢え死にする事を選べというのだろうか。
(だとしたら……いや……もう……いいや……疲れた……)
天使様が地獄への案内人でも何でもいい。
自分は幕を下ろしたかった、目を閉じたかった。
カチャ
と、金属的な靴音が鳴った。
今まで氷の彫像のように立っていた天使がミヴァンの傍に歩み寄ったのだ。
そうして、虫の息のミヴァンの傍に跪いた。
(何……?何だ……?もうほっといて……)
と、その天使は信じられない言葉を発した。
「立ちなさい」
今のミヴァンにとって、どんな言葉よりも厳しい言葉だった。
この体で立ち上がるというのは地獄に放り込まれるよりも辛い、そう断言できる。
耳を疑うミヴァンの傍で、また天使が言う。
「立ちなさい」
天から降るように美しく、荘厳で、透明で、人間らしい情を微塵も感じさせない冷たい声。
不意に怒りを感じた。
立ちなさい、って何だ。
寒空の下で凍えて死のうとしている子供相手にかける言葉がそれが。
手ぐらい差し伸べたらどうなんだ、情ってものは無いのか。
「立ちなさい」
ふざけやがって、畜生、立ってやる、見てやがれ。
ミヴァンの手足が震えながら冷たい地面を引っ掻く。
ふうふうと真っ白な息を吐きながら身悶える。
天使は手を貸そうとはしない、ただ、その様子を冷たい目で見ている。
「貴方は」
初めて「立ちなさい」以外の言葉を紡いだ。
その天使の顔を睨み付けながら、ミヴァンは小鹿のようにぶるぶる震えながら身を起こす。
ぼろきれが肩から滑り落ち、僅かな体温が更に逃げて行く。
それでも起き上がる。
「ここで倒れていい者ではない」
ミヴァンは立った。
這いつくばっていた地面から体を引き剥がすようにして、雪の降り止まない暗い空に向かって立ち上がった。
ずたぼろの姿で、天使を睨みながら立っていた。
それが限界だった。
ふつり、と糸が切れたようにミヴァンの身体が崩れ落ちる。
その体が倒れる寸前、羽毛のように柔らかなものがミヴァンを受け止めた。
温かくて、いい匂いがした。
こんなにいい匂いを嗅いだのは生まれて初めてだった。
しかし、それが何かを認識する前にミヴァンの意識は遠ざかって行った。
「それが、貴方の最初の一歩だ」
遥か遠くで、冷たく透き通る声を聞いた。
・
・
・
その天使の声がこの世で最後に聞いた声だとしても不思議ではなかったが、ミヴァンは目を覚ました。
そしてそれは生まれて初めての目覚めだった。
これまでのミヴァンにとっての目覚め、とは幸福な夢の終わりを告げる悲しい瞬間、もしくは悪夢と大差無い現実への帰還だった。
だが、この気分はど
[3]
次へ
ページ移動[1
2 3 4 5 6..
10]
[7]
TOP [9]
目次[0]
投票 [*]
感想[#]
メール登録