夏。
かつてこの季節が来る度、雅史はあの記憶を思い出していた。
うだるような日差しを受けるたび、蝉の声を聴くたび、クーラーの涼しい風を受けるたび思い出す。
この世ならざる者と間近に対峙した記憶、妻との絆を離れがたいものにしたあの日々。
夏休み。
高校を卒業すると縁の薄れるあの長期休暇の思い出はしかし、社会人になってから少しずつ、ようやく、雅史の記憶から薄れ始め。
雅史にとって夏は特別な季節ではなくなっていった。
そのはずだった。
ミーン ミーン ミーン
ジーワ ジーワ ジーワ
蝉の声を聞きながら、雅史はアスファルトに投げかけられる強烈な日差しをコーヒーショップの中から見つめていた。
幸いにも店の中にいる雅史はその殺人的な熱量から今の所文明の利器によって守られている。
しかし、つい先ほどまでその熱に晒されていた雅史はまたその元に挑まねばならない事を思ってうんざりしつつアイスコーヒーを啜った。
営業の外回りというのは体力勝負だ、とは言えここ最近の暑さは殺人的と言う他無い。
うう……汗で日焼け止め流れちゃう……
思い浮かぶのはあの日の依江。
(そうそう……あの日も本当に暑くて、資料というよりクーラー求めて資料館に駆け込んだんだよな……)
二人で田んぼのあぜ道を歩いたあの日……。
「……」
雅史は首を振ってコーヒーを飲み干すと、レジへ向かった。
会計を済ませて店を出ようとするも、ちょっとばかり気合が必要だ。
よし、と覚悟を決めると、ドアを開けて日差しの中に足を踏み出す。
「くぁ……」
押し寄せる熱気に思わず呻き声が漏れる、全くやってられない。
しかしそれでも雅史は気力を奮い起こして営業先へ足を向ける。
仕事が好きな訳ではない、だが、働く事を苦痛に思った事はない。
何も特別な動機ではない、家族の為に稼いでいるのだ。
妻と娘の事を思えばいつでもやる気が満ちて来る。
顔を上げて歩き出した拍子に、白い姿とすれ違った。
「……!」
思わず、振り返ってその後ろ姿を見る。
着物姿の女性だ。
このあたりでお祭りでもやっているのだろう。
白地に花柄が入った着物。結わえられてうなじの見える後ろ姿。
真っ白な乱れた装束に、顔が見えない程に長い黒髪……
雅史はその後ろ姿から目を逸らし、叩き込んだ営業マニュアルを頭から引き出す作業に戻った。
(どうして……)
それでも、片隅で思う。
夏はもう特別な季節ではなくなった。
この世ならざる者との関わりなんて、もう記憶の遥か彼方だ。
自分は家族の為に働く普通のサラリーマンだ。
なのに……。
(六条 トウ)
近頃、頻繁にあの夏の記憶が呼び覚まされるようになった。
ふとした日常の隙間に、少しでも関連を喚起させるものを見る度に。
あるいは、何の拍子もなく唐突に。
ただの暑い日々が、現世と幽世の境界が曖昧になったあの日々と重なっていく。
それにつられるように、雅史の心も、不安定で多感だったあの日に戻っていくような……。
ぴしゃぴしゃと雅史は自分の頬を張った。
しっかりしろ、自分は妻子を持つ社会人だ、もう学生ではない。
そう、娘がいる……。
薄々、感づいていた。
どうしてこうもあの日を思い起こすようになってしまったのか。
それは娘の存在だ。
高校生になって、ますます綺麗になっていく娘。
父親にとって難しい時期である事は重々承知していた。
だが、話に聞く一般的な家庭と比べると娘はずっと大人しい。
悪い遊びに耽る事もなく、反抗期を迎えるでもなく、増して父親を過剰に嫌うでもない。
学校の成績も優秀で、聞く限り友人にも恵まれている……。
出来過ぎ、と言えるくらいだろう。
だが、そんな彼女に雅史が感じるのは、恐怖。
そう、雅史は自分の娘、桃(トウ)の事が怖い。
似ているのだ。
かつて目にしたこの世ならざる者に、娘は余りに似ている。
尚且つその魂に影響を受けていると言わざるを得ない行動も見せるようになった。
過去の物として蓋をしようとしていた非現実的な記憶が現実のものであったと。
間違いなくそれはそこに居て自分はそれに深く関わっているのだと、改めて娘に思い知らされたようだった。
その妖しくも底冷えのするような存在を再び認識してしまったが故に、今年の夏がただの夏でないように感じる。
雅史はハンカチで汗を拭い、深呼吸をした。
(大丈夫だ、依江がいる……俺には、依江が……)
守るべき人であり、また、ある意味では自分を守ってくれる人である妻の依江。
彼女が何とかしてくれる、いや、彼女と一緒なら何にでも立ち向かえる。
(娘の事だって、きっとうまくいく、大丈夫だ……)
そう自分に言い聞かせ、雅史は頭を仕事に切り替えた。
・
・
・
「ふうーい」
一日の仕事を終え、我が家に帰った雅史は思わず深
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