(あー、疲れた)
アパートの一室に戻った伏野英樹(ふせのひでき)はため息をつくと、買ってきたコンビニ弁当を一人用の小さなテーブルに広げ、缶チューハイを開ける。
そうしてから卓上にラップトップのパソコンを乗せ、お気に入りの動画を再生しながら弁当をつつき、缶を傾ける。
近頃の若者の多くと同じく、伏野もテレビよりも動画をよく視聴する。
行儀は悪いが見咎める者もいない一人暮らし、仕事の後のささやかな癒しの時間である。
自分は恵まれている方だと思っている。
二十代前半、一人暮らし、製造業勤務。独身。彼女なし。
仕事は無論厳しいが少なくともよく噂に聞くサービス残業というものはないし、給料にも文句はない。
休暇もそれなりに取れるし、お盆の連休も近い。
「ふふ、ははは……」
動画に笑いながら弁当と缶を空にし、今度の連休どうしようかな、なんて考えながら寝る準備を始める。
そう、暇なのだ。
満たされているからこそ感じる事かもしれないが、伏野は仕事以外では基本的に暇を持て余している。
特に趣味や熱中する事があるでもなく、休みは寝て過ごしたり、動画を見たりゲームをしたり……。
自分でももう少し有意義に過ごせないものかと考えたりしている。
考えるだけで特に何も行動を起こさずに月日が過ぎている訳なのだが……。
ごろん、と布団に横になり、これも現代人らしく、部屋を暗くしてからも寝付かずにスマホをいじり始めたりする。
「……」
普段はそうこうしているうちに眠くなるものなのだが、この日は中々眠気がこなかった。
布団の中でごろごろするうち、次の日が休みだというのもあっていっそ眠くなるまで起きていようと考えた。
ラップトップのパソコンを枕元に引き寄せ、何となく電源を入れる。
「……」
伏野は、普段使っているブラウザと違うブラウザを立ち上げた。
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深層ウェブ、という言葉がある。
普段人々が利用する一般的な検索エンジンでたどり着けるサイトはネットの中の10%ほどであると言われている。
残りの多くは会員制のサイトやオンラインバンキング、管理画面などのIDやパスワードを必要とするサイト。
そして、その中のさらに深くに存在するのがダークウェブ、と言われる領域だ。
通常の検索方法ではたどり着く事ができず、法的な管理のなされていない無法地帯。
よって、違法な取引や犯罪などに利用されるケースもある。
また、奇妙な動画や意味不明なメッセージが発信されていたり、薬物の売買やハッキング依頼、児童ポルノ動画、挙句はアサシンサイト(殺人依頼サイト)までも存在している。
しかしそれに類似したサイトを見つけたとしてもそれが本物である確証はないし、そもそもそれほど本格的に犯罪に関与したサイトはごく一部だ。
無法地帯にいる者全てが犯罪者であるとは限らない。
とはいえ入口がどこに開いているかはわからない、興味本位で覗いてよい場所でない事は確かなのだ。
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「……」
布団の中、暗闇の中で伏野はその領域に見入る。
アクセスするだけなら容易く手に入るブラウザを使えば誰でもアクセスはできる。
何故、リスクを犯して伏野がそんなものを見ているのか。
はっきりとした理由などない、何となく心を惹かれたからだ。
だがあえて説明するならば「暇」だったからだ。
恐らくは人と比べても恵まれた、平和な自分の日常。取り立てて特別な事のない日常。
そんな中で伏野は平凡から外れた物を求めたのかもしれない。普通でないものが見たかったのかもしれない。
このブラウザを通して見る世界は何か、物事の裏側を覗くような背徳感があったのだ。
とはいえ、トラブルに巻き込まれるのは御免だ。
あからさまに危険そうな領域は避け、あくまで安全な場所をふらふらとサーフィンする。
「ふ……」
伏野の口に思わず笑みが浮かぶ。
画面に映っているのはプレッツェルの広告。
英語なのでよくはわからないが、どう見てもプレッツェルを販売しているサイトだ。
表で堂々と売ればいいのに何でわざわざこんな所で売ろうと考えたのか。
どうという事のないサイトもこんな場所で見かけると何かおかしみを感じる。
「あっ?」
と、勝手にウィンドウが開き、プレッツェルの広告が黒い画面にとって変わられる。
(ああ、何だ?何か踏んだか?)
舌打ちを打ってその画面を消そうとするが、枠も超えて画面一杯に表示されたそれを消す方法はポインターを隅々まで巡らせても見当たらない。
と、横のスクロールバーを見てその画面が下に続いている事に気付いた。
普段ならばそんな怪しい画面が出てきた時点でパソコンを強制終了するところだが、伏野を好奇心が動かした。
(……何があるんだろ、何か書いてるのかな)
カララ……カララ……カララ……
マウスホイールを回し、その暗い画面の下を目指
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