食事時を過ぎ、もう明日を迎える準備にかかっているのか、表通りには人の気配も少ない。
部屋の中を、さっきまで橙色に柔らかく照らしていたランプも消してしまった。
あとはただ、窓から薄い月明かり。
ランプの置かれたサイドボードには、ガウン二着と、なぜかタオルが何枚も積んである。
ママのしまい忘れかと思いきや、一番下のタオルには、メモが挟んであった。
――エシェルちゃんへ。終わったら使ってね
#9829; ママより
よく意味が分からない。なんなの、「終わったら」って。
膝から下を、そっと一巻きすることに決めた。
けっして、みっちり巻きつくのが恥ずかしいからじゃない、と言い添えてはみたのだけど。
「遠慮しないで、『ぎゅっ』てしていいよ?」
この子は、いつもこうして真顔でそそのかしてくるから侮れない。
ルネの言葉に顔が緩みそうになるのを、歯を食いしばり、こらえた。
「だ、だめよ、あたしって胴体太いんだから、あんまり巻いたらほら、寝苦しいでしょ? あんた」
あたしの言いわけにも、ルネは無邪気な顔。
「ううん、全然大丈夫。エシェルの体、やわらかくてすごく気持ちいい」
ルネはそう言って、「おやすみ」のあいさつとともに、ほわっと幸せそうに目をつむった。
「か、から、だ…きもちいい…って」
と、切れ切れにつぶやいたきり、あたしは、またも口をぱくぱくするしかなかった。
あたしの血圧は、今日一日で乱高下しすぎて大変なことになっている。
ルネが早々と寝る体勢に入ったものだから、どなり返すタイミングを逃してしまった。
メドゥーサの目をためらいなく覗きこんだり、簡単に石にしてのけたり。こんな状況でさっさとおねんねしようとしたり。
末恐ろしいお子様だわ、こいつ。
お互いの体を横向きに、あたし達は向かい合っている。
…いや。ほとんどこれ、だ…抱き合うって言ったほうが…。
あああ、近い近い! 顔が近い! 唇も近い!
ダメだってば、思い出しちゃうから! キッチンのアレを思い出しちゃうから!
ううう、体をずらしたらずらしたで、今度は胸の方に近い!
ていうか、あったかい! この子の脚、すっごく温かい! すっごく癒されるっぽい!
うわああなんか匂いが! ルネのいい匂いが!
石鹸、あたしとおんなじ石鹸の匂いが!
あたしがあわてふためいている間に、いつしかルネは寝入ったらしい。
すうすうと可愛らしい息が、一定のリズムをとるようになっていた。
……寝た、のかしら。
まったく、ひとの気も知らないで、寝付きいいんだから。
それとも、あたしがけっこうな長時間、錯乱していたか。
「……ルネ?」
雪が降る音よりも小さく、あたしはルネを呼んでみた。
「……むにゅ」
とかなんとか声を発しながら、もぞもぞ動くルネの驚異的な可愛さに、あたしの目が釘付けにされていると。
そのまま、吸い込まれるように、あたしの胸に、ルネは顔を埋めてきた。
悲鳴が出そうになるのを、息を止めてこらえた。
体中に血を運ぶ、あたしの胸の音だけが、ひどくやかましい。
このドキドキの音、ルネに、ううん、それどころか家の外にまで聞こえてしまうんじゃないのかしら。
髪の毛達は、もう辛抱たまらないとばかり、大はしゃぎでルネに絡みついていく。
彼女達みんな、実に愛おしそうに振る舞ってはいるけど、はた目にはルネが蛇の群れに襲われているように見えなくもない。
すでに、頭のところで一匹だけ爆睡してるのがいる。
それは、やはりというかなんというか、アンナマリーだった。
(ルネくーん
#9829; あたしも一緒に寝るー)
(ずるーい! そこあたしが最初に見つけた場所なのにぃ)
(あーあ、ほんとに埋められるくらいあったらよかったのにね、胸)
うっさい! ていうか誰よ、今の!! 聞き捨てならないわ、出てきなさい!
ちょっとした添い寝じゃない。どうってことないわよ、そのくらい。
子守唄の一つも歌って見せようかしら、お姉さんとして。
なんて、たかをくくっていたけど。
…それが強がりにすぎなかったということを、あたしは思い知らされた。
ルネの寝顔の威力を、甘く見過ぎていたようだった。
天使って…いるんだ、ほんとに。
あたしは月の下、胸の中、安らいだ顔で横たわったルネを、茫然と、はたまた爛々と見つめる。
ルネを起こさないよう、慎重に呼吸をするけど、…明らかに、いつもよりあたし、呼吸が荒い。
もし今この瞬間、ルネが起きたりなんかしたら、きっと物凄い顔をあたしは見られることになるだろう。
あたしはさっきから、不安でたまらない。
歯磨き、足りてたっけ。もう一回、汗とか流しておいた方がよかったんじゃないかしら。
たぶん
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