万が一にも、中にいるルネのことを覗き見たりすることのないように、目を固くつむってうつむきながら、トン、トンとドアをノックする。
そして、お風呂場のドアを、あたしは細く開けた。
ドアの向こうから、湯気と石鹸の香りが、一緒になってふわりとあたしを迎えた。
目をつむっていたせいで、瞼の裏に、見えるはずもないルネの素肌を思い浮かべてしまう。
全身の力が抜け、その場に崩れ落ちそうになった。
いけない考えを、深く吐いた一息で追い出そうとする。
あたしはのけぞるように首を大きく振って、一斉にお風呂場へなだれ込もうとするはしたない蛇たちを引きずり戻した。
息を整えようと、小さく深呼吸。
いつもの、我が家で使ってる石鹸の香りなのに、嗅いだだけで、なんでこんなに胸が騒ぐのよ。
「はーい。なに? エシェル」
ちょっと驚いた。まだ何も言ってないのに、何でノックの音だけであたしだって分かるんだろう。
「あー、あの、お湯加減はどう? ルネ」
「うん。大丈夫。ちょうどいいよ」
「そ、そう。それはよかったわ、うん。……」
あたしが、続けるべき言葉をためらったがために、しばらく続く沈黙。
「どうしたの、エシェル?」
当然、ルネは不思議に思って聞いてくる。
「え、あー、んーと…あんたってさ、その、好きな色とか、あったっけ?」
「色? どうしたの、急に」
「い、いや、大したことじゃないんだけど、えと、ちょっと気になったから聞いてみただけなんだけど。
…も、もう、いいから答えなさいよ! ほら、ピンクとかブルーとか、どっちなのよ!」
「うーん…、え? ピンクかブルー、なの?」
好きな色を聞かれたはずなのに、いつのまにか選択肢が与えられていたので、思わずルネが聞き返してきた。
そりゃそうよ。ここで黒ですなんて答えられた日には、今すぐまだ空いてる服屋さんを探して町中全力疾走しなくちゃならなくなるじゃない。
「あう…、そ、そうね。その中から選ぶとしたら、ルネだったら何色?」
「んー、ブルー、かな」
「…あ、あー、やっぱり……じゃない。そう、わかった。じゃね、ごゆっくり」
「はーい」
そそくさと、あたしはリビングへ引き返した。
「エシェルちゃん、どうだった?
ルネくんどっちの下着が好みだったかしらぁ?
ちなみにママ的には、こっちの大人っぽいやつの方が――」
あたしは、お風呂場から帰ってくるなり真っすぐママに詰め寄ると、ママがニコニコしながら差しだしてきた、一番お気に入りのブルーの下着と、もう一方の手からかわいさ重視のピンクを無言でもぎ取った。
ひとの気も知らないで、もわんもわん湯気を起ち上らせながら物凄く幸せそうな顔で帰ってきたルネの次に、あたしがお風呂に入ることになった。
けっこう見慣れたはずのルネのパジャマ姿が、今日はなぜか正視できない。
「ママはお夕飯作らなくちゃいけないし、後でパパと一緒に入って甘ぁい甘いひと時を過ごそうと思うから、エシェルちゃん先に入ってらっしゃい」
ママの言葉、特に真ん中辺りの発言をはいはいと雑に聞き流し、あたしは自分の部屋へ戻ると、今回ルネからのご指名を受けられなかったピンクの下着を畳み、誰にも見つけられないよう衣裳棚の奥深くへと突っ込み、着替えを手にお風呂場へ向かった。
途中、ママに小さく声をかけられた。
「エシェルちゃん。時間はいっぱいあるんだから、ゆっくり綺麗になっていらっしゃい?」
「わかっ……」わかってるわよ、と言い返そうとして、あたしは寸前で、その問いと、あたしがしようとしていた答えが、あまりにも意味深であることに気付く。
うるさいわね、とも言えず、ただあたしはお風呂場へと逃げ込むのだった。
いつもより、うんと長い時間をかけて、あたしは自分の身体を、髪の先から尻尾の先まで、これ以上磨きようがないくらい洗いつくした。
昨日まではおとなしく洗われていたはずの蛇たちも、やれ洗い方がなってないだの、こっち洗うの忘れてるだの、うるさいことうるさいこと。
(ちょっと。もっとしっかり洗ってよ。ルネくんに汗臭いなんて思われたら許さないから!)
彼女らの、そんな声がありありと分かる。
ふん。あーやだやだ、はしたない。
別に、ルネが来てるから身体を綺麗にするんじゃないもん。
女の子だったら、これくらいの身だしなみは当然なの。
…大丈夫かな、これで。
ルネの前に出ても、大丈夫かしら。
爪は、ちゃんと綺麗にしたっけ? …よし。
汗臭いなんて思われたりしたら、どうしよう。
自分の腕を、鼻に近付けてみる。
たぶん人生で一番念入りに洗われたであろうあたしの体からは、もはやそのものといっても過言ではないほどに、濃い石鹸の匂いが漂ってきた。
さらに、自分の体から、汗を最
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