澄み渡るような星空の東側が、目を覚ました様にうっすらと青黒く明らみ始めていた。
趣味の山登りなら、その美しさに感動する暇もあるかもしれないが、山を駆け行くサラとラティにとっては、ただただ一番冷えきる時間帯でしかない。
ホワイトホーンのサラはともかく、ラティはひたすら寒さに耐えるので精一杯だった。
凍傷にならない為にブーツと手袋の中の指を絶えず動かし、歯を食いしばって歯の根が鳴りそうになるのを耐える。
サラから伝わってくる体温だけが自分以外の熱源
だが、放射冷却の空の下ではそれすらも頼りない物だった。
ただし、この寒さを一番求めていたのもサラだった。
これだけ冷え込めば、緩んでいた雪も再び凍り付いて、雪崩も起きづらくなる。
日が登りきって気温が上がるまでの間に、どれだけ距離を稼げるかが勝負だった。
「まあ、ここはこうなってるわよねえ・・・」
「ここ・・・道・・・だったんですか?」
目の前の光景を見たラティは言葉を失う。
そこは本来なら崖に張り出した道が続いている場所だったが、降り続いた雪が吹きだまって斜めに道を隠してしまい、崖下へスロープを作っていた。
サラはここの雪が緩む前に抜けたかったのだ。
「・・・行くんですよね?」
「当然。ここさえ抜けてしまえば半分以上終わったような物だから」
ラティの本音は否定してほしかったのだが、こうキッパリと言い切られたんでは仕方ない。
「これを抜けたら休憩出来るから、もう少し我慢しててよ」
サラが腰のケースからピッケルを引き抜く。
久しぶりの無茶に思わず口元が緩んでくる。
「いっ、くっ、わっ、よぉぉぉっ!!」
雪面を駆け抜けて、道とは名ばかりの斜面へ突っ込んでいく。
ザカッ!ザカッ!ザカッ!
半ば崖側に傾ぎながら、丈夫な雪の面を見極めて脚を置いていく。
(怖い怖い怖い怖いッ!)
口にしないだけで、実はサラも恐怖を感じていたが、その恐怖こそが何よりも脚を進めてくれる事を、彼女はよく知っていた。
恐怖に囚われずに恐怖がもたらす推進力だけを取り出す術を、彼女はよく知っていた。
グッ、ズボッ
と雪に脚を取られかけるが、すぐさま傍らの斜面にピッケルを打ち込んで、腕力任せに身体ごと脚を引き抜き、次の脚を出していく。
(あたしを舐めるなよ雪山!)
サラの中の雪山への反骨が、更に推進力を与える。
目に入ったのは雪面から突き出た岩。
おあつらえ向きの足掛かりへ脚を掛けると、一息に踏み切って道の出口まで跳躍した。
ザッ!ザッ!ザッ・・・ザッ・・・
安全な場所に着地すると、サラの顔には自然と笑みが浮かんでいた。
「はぁ、はぁ、よし・・・抜けてやったわよ・・・」
「なんで・・・なんで、そんな風に笑えるんですか?」
命を容易く危険へ投げ出した上に、笑顔すら浮かべているサラのメンタルは、ラティにとっては理解の範疇を越えていた。
正確に言うならば、ラティどころか他のホワイトホーンにすら、理解しがたいメンタルではあったのだが。
「・・・最初にここが心地よいって言ったわよね?」
サラは歩みを止める事なく、ピッケルをケースへ納めながら歩を進め始めていた。
「でも、ここは同時に私達の命も容赦なく狙ってくる」
既に先程の笑顔はどこかへ消えている。
「そういう、理不尽に自分の命を狙うような物の言いなりになるなんて、悔しいじゃない」
雪を蹴りつけて走る音が響き始める。
「だから、意地でも捩じ伏せてやりたくなるのよ」
危険に身を投げ出すサラの言い分を、ラティは朧気ながら理解していた。
誰もが自然がもたらす結果に、自分を従わせて生きている中で、彼女はそれを身一つで拒否し続けてきたのだ。
あまりにも無謀すぎる形だが。
物流組合がこの役目にサラを選ばなかったとしても、サラは自分で名乗り出たかもしれない。
ラウエルに降りかかっているのも、そういう自然がもたらした理不尽だからだ。
そして、ラティもまた、自然がもたらした理不尽に対して、全力で拒否を突き付けるのが仕事だ。
そのままにしておけば失われる命を救うのが、医者という仕事だからだ。
だが、命に限りがある以上、医者の抵抗は必ず敗れる運命にある。
自分の抵抗がいつかは敗北に終わる事を何度も経験する事で、医者は死という理不尽に対して冷静に立ち向かえる様になるのだ。
だから、この命知らずのホワイトホーンに、ラティは半ばシンパシーを感じていた。
もう半ばは、あまりにも大きすぎる存在に、一人で抵抗し続けるその無謀さに対して、違和感を覚え続けていたのだが。
[5]
戻る [6]
次へ
[7]
TOP [9]
目次[0]
投票 [*]
感想[#]
メール登録